(※ネタバレあります。これからご覧になる方はご注意ください)


(映画&舞台総合公式サイトはこちら

はい、観てきました、東映ムビステ第2弾『死神遣いの事件帖~傀儡夜曲~』。
第1弾の『GOZEN』映画は「なんじゃこりゃ?」というびっくり映画で、「第2弾が作られることはあるのか」とか感想に書いちゃってましたが、作られましたね。しかも鈴木拡樹様主演で。

まぁ観ないとしょうがないですよね。
5月末公開予定だったのがコロナの影響で6月12日公開になり、先日17日に京都まで足を伸ばしてきました。
本編前に拡樹様の短いコメント映像。内容は週替わりということで、1週目はごく普通に挨拶&みどころ紹介な感じでした。

本編は90分。
最初の方、拡樹様が「お金♡」って喜ぶ内心カットとか、「右腕、左腕、右の○玉、左の○玉」ってくだりとか、「これ、またトンデモなのかな」とヒヤヒヤしましたが、後半は持ち直し、全体としては面白かったです。

うん、『GOZEN』と違ってお話はちゃんとしてたよね。『GOZEN』と違って(くどい)。

死神と死神遣いのバディ物っていうネタもいいし、「豊臣の姫」とか色々と展開はベタだけど、90分でまとめるにはわかりやすいお話の方がいいもんね。
賭場でイカサマ骰子かじって見破って、その場にいた俠客達と仲良くなるのとか、実は子どもの頃に縁があって、とか、本当にベタベタだけれども。

拡樹様演じる久坂幻士郎は“死神遣い”。
死神と契約し、その命(寿命)を差し出すことで超常能力を振るうことができる人間。戦国時代にはそのような契約をした武将たちが大勢いて、戦場には死神が跋扈していたのだとか。

幻士郎の父は豊臣に仕えた名うての“死神遣い”で、契約死神の十蘭とは父の代からの付き合い(十蘭は500歳超えてるらしいのでもっと前の代からの付き合いかもしれない)。
けれども今や徳川の時代。
戦乱の世は終わり、もはや異能力を駆使して戦う必要などない。
なので幻士郎は今でいう探偵業のようなことをやっています。人探し、猫探し、何なら粗探し、という「よろずやっかいごと引受業」。ほぼ開店休業状態らしく、汚い長屋でお昼寝中。

そこへ輿に乗った「金持ちっぽい婦人」が頼み事に現れ――。

死神十蘭は普段は人形に封じられていて、このお人形がなかなか可愛いし、からくり人形よろしく手紙を背負ってとことこ歩いていくシーンなどは絵として面白い。

インタビュー&メイキング動画を見ると実はあの「十蘭ドール」、ベースはオーズのキヨちゃんという話で。



キヨちゃん!まさかの!!
すごいなぁ、キヨちゃん、さすがだなぁ。
(ちなみにキヨちゃんとはこういうお人形↓)


普段はお人形に封印されてるけど喋ることはできる。その声は幻士郎以外にも聞こえて、周りから見ると幻士郎が腹話術で一人二役してるように見える。
なので死神遣いは「傀儡師」とも呼ばれ、だからこの映画のサブタイトルにも「傀儡」の文字が入る。

お人形から出て「本来の姿」になった十蘭は、基本的には幻士郎以外には見えない。本来の姿になると声も聞こえなくなる。死神が見えるのは特殊な能力を持った人間か、「死期が近い人間」という設定もうまく使われてた。

十蘭役は安井謙太郞くん。衣裳がよく似合って可愛かった。

幻士郎が本気出して「十蘭!ナントカカントカ!」って技名を叫ぶと十蘭は赤い刀に変化して「お命十日頂きます!ごちそうさま!」みたいに言う。技(というか能力?)のレベルに応じて命の重さが変わるらしく、映画では十日、ひと月、無限の3種類が使われてた。

技を使えば命が削られていくことを「蝋燭(命の火)がスパッと短く切られていく映像」で表現していた。ちょっとわかりやすすぎと思わないこともない。それに命を「無限」にいただくってどういうことなんだろうか。その技使ったら即死なのでは。

クライマックス、ラスボスとの戦いの際に「無限」技を使わざるを得なくなるんだけど、その時は「刀」ではなく十蘭と幻士郎が一体となって、幻士郎の見た目が変わるんですよね。
それがちょっと微妙なビジュアルで……「あ~、これ仮面ライダーの最終強化フォームが残念な見た目になるのと似てる」って思っちゃいました。はははは。

「命を無限に差し出す」ってことで、長時間その技使ってるとどんどん命削られていって本当に死んじゃう設定なんだけど、文字通り幻士郎は「命をかけて彼女を守る!」って覚悟していて、それで本当に最後、現世に戻ってこれないまま死んじゃうんだよね。

ええええ、そんな……。

ムビステは映画と舞台の連動、7月8月に行われる舞台版に拡樹様の名前はないので「映画だけで退場しなければいけない」のはわかってたんですが、「命をかけて守る!」で本当に主人公が命を失うって、割と珍しいのでは。

凄腕の死神遣いだった父親に比べて頼りない、いい加減、ちゃらんぽらん、と幻士郎のことを酷評していた(もちろんそれは愛情の裏返しだったと思うけど)十蘭が「このままじゃ本当におまえの命が――、頼む、命令してくれ!」と叫ぶの、グッと来ます。
幻士郎が命令しないと合体が解けない、技が解けない。
(でもやっぱり「無限」だとほんの一瞬使っただけでも結局死をもってその対価を払うしかないのではという気がしないでもない)

幻士郎がちゃらんぽらんだったのは「もう戦乱の世ではない」「死神遣いの技など使わない方が平和」という考えだったからで、自分が活躍するような世の中にはもうならなくていい、テキトーに食っていければいい、って思ってたからなんですね。

それにしては「お金~♡」ってめちゃくちゃ喜んでたり、手付けでもらった十両を「もっと増やす♡」と賭場に行ったり、ちょっとなんかその辺の描写が中途半端な感じもしたけど、ゆるい部分と本気になった時の格好良さとの緩急はさすが拡樹様という感じ。

うん、殺陣格好良かったです。
もっともっと見たかったなぁ。

悪態をつきながらも幻士郎を信頼し、大事に思っている十蘭、のらりくらりしているように見えてやる時はやる幻士郎、このコンビのエピソードをもっと見たいと思った。
私達観客が見る最初の事件が最後の事件になって、あっけなく死んじゃうだなんて……もったいない。

幻士郎、「三途の川」的なところを小舟に乗って流れていくんですけど、ロケ地というか合成背景が琵琶湖の白鬚神社なんですよね。
死んで琵琶湖に流れて行く拡樹様……滋賀県民として感慨深いけど喜んでいいのかどうなのか(^^;)

目を閉じて小舟に横たわり流れて行く拡樹様。
なんかほんと、いいシーンなのかどうなのか微妙にわからなかったりはしました。命をかけて守り通して、満足して死出の旅に出る、って表現なのかなぁ。
「ほんとに死んじゃうの?いきなり飛び起きたりしないの?トンデモでもいいから生き返ろうよ!」と思いながら見てた……。

えーっとそれで、幻士郎が己の命と引き換えに守り通したヒロイン、お藤役は乃木坂の鈴木絢音さん。うん、可愛かった。お芝居も上手だった。

お藤の養父で吉原遊郭の惣名主役は誰あろう堀内正美さんで、映画『刀剣乱舞』の主従が顔見せご対面。
堀内さんと拡樹様が言葉を交わしてるだけでなんか楽しいよね。ふふふふ。

堀内さん――というか、惣名主さん、幻士郎の父親のことを知っていて、惣名主さん自身も豊臣方の武将だったらしい。
時は三代将軍家光の治世なんだけど、そうか、大坂夏の陣(1615年)と家光の時代(1623-1651)って、すぐそこなんだなぁ。なんか、映画見てて「あれ?幻士郎はいくつ?」って思っちゃった。豊臣の時代はまだ“ついこの間”なんだ。

ちなみにWikipediaによると吉原は1617年に設置許可が出たのだとか。惣名主の名は庄司甚右衛門、映画でもちゃんとそうなってる。

堀内さんの息子でお藤の血の繋がらない弟、新之助役は崎山つばささん。舞台版では新之助が主人公になるようで、その仲間たちもバーンと文字で名前が紹介されるんだけど、右腕役のゲイツくん(押田岳くん)、クライマックスで死んじゃった。ええっ……。
「ここは俺に任せておまえは先に行け!」って幻士郎をラスボスのとこに行かせて、見事「ここ」を死守する、男前な死に方だったけど、「え?死者出ちゃうの?」って思っちゃった。もっとちゃらんぽらんにハッピーエンドになる話かなぁと。

いや、まぁ、そもそも主人公が死んじゃうお話だけども。

4人の中には陣さん(松本寛也さん)もいたけど、陣さんは特に見せ場なし。舞台の方でもっと活躍するんだろうか。

ラスボスに当たる旗本の……あれ、役名なんだったっけ? 水野? いや、違うかな、早くも記憶が。
ともかくラスボスは山口馬木也さん。悪くて格好良かった~。彼も死神遣いなんだけど、幻士郎が十蘭を「刀剣」として遣うのに対し、馬木也さんの方は「銃」にするっていう対比もよくできてる。

平和な世の中なんかくそくらえ、もう一度戦乱を起こして暴れ回るのだ!っていう目的も、幻士郎の生き方と対になってて、ラスボスがそういう奴だからこそ、幻士郎が前半「今はもう死神遣いの時代なんかじゃない」と呑気にテキトーに、平穏に埋没しようとしているくだりが生きるよね。

馬木也さんの配下(?)で賭場等でブイブイいわしてる人(これも役名がわからん)、仮面ライダー王蛇・萩野崇さん。あー、もう、見るからに悪いわー、黒いわー、濃いわー(褒めてる)。
馬木也さんにしても萩野さんにしても、格好いい悪役だよねぇ。

馬木也さんに遣われる死神・百目鬼(どめき)はエンターさんこと陣内将さん。最初気づかなかった……。可愛い系死神の十蘭と違っていかにも怖そうヤバそうな雰囲気、むしろ百目鬼が馬木也さんを遣ってるんだよね。死神が跋扈する世界を取り戻すために。

太平の世に武士の出番がないのと同様、太平の世に死神の活躍の場もない。先代からの絆と信頼があった幻士郎と十蘭とは違って、馬木也さんと百目鬼の関係はただの「利害の一致」。
だから馬木也さんが倒されても、百目鬼は「案外使えない奴だったな」と言ってとっとと去って行く。おそらくは、次の「使える死神遣い」を探して。

舞台版にも引き続きエンターさん出るようなので、百目鬼と十蘭の戦い第2弾が繰り広げられるのだろうと思いますが、百目鬼を遣う役は谷口賢志さんがやるのかなぁ、どうなんだろ。(十蘭を遣うのはキャスティング的にも映画のラストシーン的にも新之助でしょう)

えーっとそれから、吉原の女郎役で比奈ちゃん(高田里穂ちゃん)が出ていたんだけど、クレジット出るまで気づかなかった……なんという不覚!!!
見たことあるなぁ、誰だっけ、とまでは思ったんだけど、比奈ちゃんだったとは。おみあしチラ見せして「あちきと遊ばない?」と幻士郎さんを誘惑しちゃったりなんかしてもう、すっかり大人になってしまったのね、うう(何目線)。

あと、幻士郎に人探しの依頼に来る「お千」に高田聖子さん。聖子さん良かったわー。いかにもな“大阪のおばちゃん”芝居で和ませつつ、最後の「豊臣の姫」との再会の場面ではほろりとさせられてしまった。
幻士郎が「お金♡」となるところが「お千」とのシーンで、あの場面を見ている時点では「いかにもわけありな大阪のおばちゃん」というのにちょっとムズムズしたけど、その後「千姫」として出て来る城内の場面や、身分を明かさず、「姫」にも姫と伝えずただ彼女が無事であることを喜ぶ最後の場面では「この役、聖子さんで良かったなぁ」と。

千姫のこと調べたくなったもんね。

家康の孫であり、お市の方の孫でもある千姫、相当な美女だったという話だけど、7歳で秀頼に嫁いで若い頃を大阪城やら姫路城で過ごしているから、江戸で「天樹院」と呼ばれるようになっても言葉は確かに関西弁だったのかもしれない。
知らんけど。


コロナ禍でどうなるかと思った舞台もちゃんと上演されるようで、十蘭ドールや死神の表現、殺陣の演出とかどんな感じになるのか、ちょっと気になります。

繰り返しになるけど、幻士郎と十蘭のエピソード、もっと見たかったなぁ。


【関連記事】

『GOZEN~純恋の剣~』観てきました

映画『漆黒天~終の語り~』面白かったです!!!