はい、久しぶりのクイーンです。
エラリーが主役のものではなく、ドルリー・レーンものを手に取ってみました。

小学生の時に学校図書館にあったミステリ全集で『Xの悲劇』と『Yの悲劇』は読んだはずで、その全集が(というかミステリジャンルの本が)どの辺の棚にあったかまで覚えているのに、肝心の作品の内容は全然覚えていないという……。

なので、まっさらな気持ちで、まったく犯人がわからないまま、最後まで読み進みました(笑)。

ご存知の方も多いかと思いますが、一応おさらいしておくと、この『Xの悲劇』に始まるドルリー・レーン四部作は、最初「バーナビー・ロス」という著者名で発表されました。エラリー・クイーンとはまったくの別人とされ、クイーンが「二人で一人」の作家であるのをよいことに、クイーンvsロスの公開討論会まで開かれたのだとか。

『Xの悲劇』の発表は1932年。そして、バーナビー・ロスの正体が明らかにされたのは1940年のことだそうで、この角川新訳版の冒頭には、その経緯をクイーン自らが語る“読者への公開状”が付されています。
必要に迫られ、新たな探偵小説のシリーズを書くことになった二人の青年(つまり自分たち)。

“ふたりが余力を用いて創造したのが、たぐいまれなる推理能力の持ち主であるシェイクスピア劇の老優、ドルリー・レーン氏であった。
とはいえ、ドルリー・レーン氏の活躍を讃えるシリーズをエラリー・クイーンの名で発表することができるはずがない。エラリー・クイーン名義の作品は、名探偵エラリー・クイーン氏の活躍を讃えるものだからだ。”
 (P6)

「余力を用いて」ってところがまずすごいですね。
1932年にはクイーン名義で『エジプト十字架の秘密』『ギリシア棺の秘密』が書かれていて、この2作も本格ミステリの名作、そこへさらに『Xの悲劇』と『Yの悲劇』という、これまた後世に残る名ミステリを発表している。
当時の人々がまんまと騙されたのは、「まさかそんなに立て続けにこのレベルの作品を発表できるわけがない!」ということもあったに違いありません。

また、「エラリー・クイーン名義の作品は名探偵エラリー・クイーン氏の活躍を讃えるもの」というのは、もともと「名探偵エラリー・クイーンの本業は作家で、自分の解決した事件を自分で小説にしている」という設定で作品が発表されていたので、そのクイーンが全然別の名探偵の話を書くわけにいかなかったのでしょう。

まだ名探偵エラリーが世に出て4作目とかの時期ですし。(しかしエラリーは本業が作家なんだから、自分が主人公じゃない作品だって書いているはずなのでは…)

ちなみに「バーナビー・ロス」という名前は、エラリー物第1作である『ローマ帽子の秘密』の序文の中にすでに登場しているのだそう。エラリーの父、リチャード・クイーン警視がかつて解決した事件として「バーナビー・ロス殺人事件」というのが挙げられているのです。

いきなり殺されていたバーナビー・ロス……。「誰か気づくかな?」と思ってその名を筆名にしたのでしょうか。

ともあれこの『Xの悲劇』、本格ミステリの名作中の名作と呼ばれる作品なのですが。

うーん、なんか、微妙。

私は断然エラリーの方が好きだなぁ。ドルリー・レーンおじさんのキャラクターに共感できなくて、なんか、あんまり面白いと思えなかった……。

解説に「本の売れ行きは格段にクイーン名義の方がよかったらしい」(P440)とあるのもむべなるかな、同じ名探偵なら若くて美形の方がいいよね(笑)。

とはいえドルリー・レーン氏は有名なシェイクスピア俳優で、端正な顔だち、その声は非常に豊かで魅力的、すらりとした長身は御年60歳とは思えないほど鍛え上げられ、サム警視がその肉体を見て若々しさにびっくりするほど。

10月の肌寒い日に屋上で熊の毛皮に寝そべって、ほぼ全裸で日光浴してる60歳なんですよ。何なのこの人。

イケおじなのは間違いない。エラリーが年取ったらこうなるかも、という感じではあるんだけど。
なんというか、自信過剰すぎてウザい

耳が聞こえなくなったことで俳優を引退したドルリー・レーン、「ハムレット荘」と名付けた豪勢なお屋敷に住んでいて、検察に宛てて「俺の考えた最強の推理」を送りつけたりしている。
曰く、

どうかこの手紙を、老いた隠遁者の差し出口とお考えにならぬよう願います。昨今、犯罪学に強い興味を覚えておりますので、今後解決が不能あるいは不明と見なされる事件がありましたら、いつでもご用命に応じる所存です。 (P14)

誰もが知ってる有名な俳優だからいいようなものの、無名の60歳のおじさんが出したんだったら、「なんだこの偉そうな手紙は」ってなるよね……。まぁその「俺の考えた推理」自体は見事なもので、手紙を受け取ったブルーノ地方検事とサム警視は、別の事件についてお知恵を拝借するためにレーンに会いに行くんだけれども。

ブルーノ検事とサム警視を前にして、レーンはまた一席ぶつんです。

「犯罪は――激情に駆られた凶悪犯罪は――人間ドラマの極致です。そして殺人こそその頂点です。(中略)いまは、実人生のそれを解釈したいと望んでいます。自分には比類のない素養があると思うのです。」 (P24)

「これまでわたしは人形遣いの糸に操られてきましたが、いまはおのれの手でその糸を操りたい衝動を覚えています。」 (P24)

「わたしには理解力があります。経験があります。洞察力も、観察眼も、集中力もあります。つまり、推理し、探偵する能力があるということです」 (P25)

読み始めてすぐ、24ページ目でこんなふうに大見得切られて、正直レーンさんにいい印象が持てない。
エラリーのような若造が生意気で自信過剰なのは可愛いけど、熟年おじさんに正面切ってこう大きく出られると「あ、関わらない方がいいやつだ……」ってなりますよね。しかも「操りたい」とか言っちゃって、「こいつヤベぇ」感が。

サム警視たちから「事件のあらまし」を聞いただけで犯人の目星をつけちゃうし、実際その観察力・推理力はすごいんだけども、

「やむをえない事情により、目下のところはその犯人の――今後はXと呼ぶことにしましょう――正体を明かすことは控えたいと思います。共犯関係とおぼしきものも見当はついているのですが」 (P101)

と言って犯人を教えようとはしない。

なので、その後さらに2人の人間が殺されることになります。すぐに明かさなかった理由は理解できなくもないし、3人目が殺された時にはショックを受けて「自分のせいかも」と思ったりしてる(というか後になって「自分の咎ではないと言い聞かせてきた」とか言う)んだけど、それでもなお犯人の正体についてはだんまりを決め込むレーンおじさん。

「いまXの正体を暴いたところでなんの利益にもなりません。どうかご辛抱ください。わたしはいま危険な勝負に出ていますが、急いては事をし損じるだけです」 (P315)

のみならず、

「わたしの生来の演劇人気質で、なんとしてもあなたに最高のクライマックスをお見せしたい。わたしの指示どおりにしてください」 (P373)

などと、すぐ犯人を名指ししないのは「盛り上げるため」だと言っちゃったりするんですよ。ここの「あなた」はサム警視のことで、「クライマックス見せてやるから言う通りにしろよ」と警視を顎で使ってるんですね。
『クイーン完全ガイド』で飯城さんがレーンのことを「神になろうとした探偵」っておっしゃっていたけど、ほんとになぁ。イラっとくるなぁ。

途中サム警視になりすまして勝手に捜査する場面もあって、サム警視、もっと怒ってもいいよ、と思ってしまう。

推理のロジックはさすがクイーンで、本当に見事に事件が構築されてて、犯人がここまで手の込んだ計画的殺人を犯す動機もしっかりしてるし、ダイイングメッセージも「ほんとに被害者は殺される瞬間にそんなメッセージを残せるものなのか?」という読者の疑問をきっちり塞ぐ使い方で、解説の有栖川有栖氏をして

この作品で展開されるレーンの推理は、本格ミステリとして最高のレベルのものであることだけを保証しよう。それはもう溜め息が出るほどで、「こうだったとも考えられるではないか」という反論の余地がなく、真相の意外性も十分。 (P443)

と言わしめるほど。

しかも会話とか小説としての話の流れ、プロットだけではない登場人物の肉付けとかも十二分にしっかりしてて、「レーンさんウザい」と思いつつもページを繰らされてしまう。

クイーン、恐ろしい子!!!

いや、ほんと、一方でエラリーのような若造を書いて、一方でレーンおじさんを書くってすごいよね。どちらも我が物顔に捜査に顔を突っ込む自信過剰な男には違いないけれども、それでもエラリーにはまだ「正義」があるというか……。

レーンは「この数週間わたしが不埒にも楽しんできたことばの曲芸」 (P391)とも言ってて、本当にこう、自分の能力を誇示するためにのみ捜査に介入している感じで。
一つ間違えば「名探偵」ではなく「犯罪コーディネーター」になっちゃうタイプの人。
うん。
一方でエラリーを書きながら、「名探偵が正義の味方とは限らないでしょ?」って話を書いてるんだよね、クイーンさん。
ドルリー・レーンものは4作目の『レーン最後の事件』で終わっちゃうんだけど、「最後の事件」ではレーンがついに自分で罪を犯してしまうのでは?と思ってしまいます。犯罪を操ろうと企んだ結果、自分自身が殺されちゃうとか……。

レーンが俳優で、「犯罪はドラマ」と言ってることもあり、章立ては「第一幕第一場」と脚本のようになっています。「主な登場人物」の末尾にも「舞台 ニューヨーク市とその近郊」「時 現代」と脚本風な記述。こういうところに凝るのもクイーンらしい。(当初はバーナビー・ロス名義だったわけだけど)

耳が悪くなったために俳優を引退したレーンおじさん、周囲とは読唇術で会話をしています。

「耳がまったく聞こえないものですから。一度におひとりの唇しか読みとれないのですよ」 (P22)

まったく聞こえなくてもあんなに流暢に、滔々と喋れるものなの?とびっくりしてしまいますが、まぁ有名俳優だし、発声及び発音は鍛えていたってことなんでしょうね。
ただ、サム警視になりすますところはちょっと気になったなぁ。特殊メイク(?)と扮装で警視に変身して、「声の調子までもが変わっていた」(P172)って書いてあるんだけど、サム警視がどんな声なのか、レーンにはわからないのでは。声や口調を真似するのはさすがに無理では??? サム警視をよく知る刑事とも会話して、まったく疑われてなかったけれども。

この「耳が聞こえない」設定、この先の事件では何か重要な意味を持ってくるのでしょうか。今作では「俳優を引退した理由付け」と、あと「周囲の雑音に邪魔されず思考に没頭できる=探偵としてのメリット」として使われていただけのような。


私が今回手に取ったのは2009年に出た越前敏弥さん訳による角川文庫版ですが、その10年後、2019年に創元推理文庫からも新訳が出ています。訳者は中村有希さん


公式の試し読みでちらっと冒頭部分を見たところ、「主な登場人物」が「配役表」と訳され、例の、「いつでも捜査に協力するよ」っていうおこがましい手紙では一人称が「小生」となってしました。いいな、「小生」。
もしかして中村さん版のレーンおじさんはそんなにもウザくないのかな。滋賀県内の図書館、創元新訳版も入れてくれないかしら。


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