はい、『Xの悲劇』『Yの悲劇』に続く、ドルリー・レーン四部作の三作目、『Zの悲劇』です。

作品が発表されたのは『Y』の翌年なのですが、作中では一気に10年の月日が流れています。冒頭の「著者覚書」には

つまり、前二作にならった表題を付すことができる事件が起こるまでに、まる十年を要したのである。
そのあいだにもドルリー・レーンは多くの複雑怪奇な事件を解決しているのだが、興味深いいくつかをいつの日か紹介することになるかもしれない。
 (P8)

と書かれています。空白の十年にレーン氏が解決した事件については、結局紹介される日は来なかったわけですが、10年経って、サム警視は引退、私立探偵に。そして検事だったブルーム氏はなんとニューヨーク州の知事になっています。

そして前作では影も形もなかったサム警視の娘ペイシェンスがいきなり登場し、語り手を務めます。女性の一人称で進む物語、『X』や『Y』とはだいぶ印象が違って、読みやすかったですね。
途中までレーン氏が登場しなくて、登場してからもあくまで語り手はペイシェンスで、レーン氏の活躍が少し後景に引っ込んでるのが嬉しい。まぁ、そうは言ってももちろん事件を解決する名探偵はレーン氏なんですけども。

現在21歳のペイシェンス、前2作にはまったく登場していなかったのも道理、かなり幼い時期にヨーロッパに遊学(?)に出され、サム警視とはずっと離れて暮らしていたのですね。母と一緒というのでもなく、「お目付役と一緒」だったらしいんだけど、当時のアメリカではそういうことが普通にあったのでしょうか。どこかの寄宿学校にいたとかではなく、ヨーロッパをあちこち転々としていたようなのですが……サム警視、実はめちゃくちゃお金持ちだったのかな???

ともあれ、親元を離れ、ヨーロッパで育った彼女、かなりの自信家です。
自分のことを紹介する文章がこんなふう。

青く大きく潤むように見せた目は(中略)星の輝きと蒼穹の色をたたえている。(中略)自分の体つきがその取り澄ましたマネキン嬢の均整美にけっして劣らないことを知った。(中略)さらに――この点はほかならぬ泰斗ドルリー・レーン氏その人のお墨つきをもらったのだが――鋭く働く頭脳が具わっている。 (P9)

事件が解決した後には

わたしは探偵小説(事実に基づくものであれ、架空のものであれ)を書く技法をじゅうぶんに習得しているため、(中略)この原稿のどこかに見いだせるよう気を配ったつもりだ。 (P338)

とも言っていて、「え?なんでそんな技法習得してるの?いつ、何のために習得したの???」と思ってしまいます。特に推理作家を目指してるなんて話は出てこなかったと思うけども。

ともあれ、アメリカに帰国した彼女、10年以上会っていなかった父親サム警視とぎこちないながらも「父娘」の関係を築き、持ち前の頭脳で父の探偵事務所を手伝い始めます。
そうして、“憧れの”レーン氏に引き合わせてもらうことに。(父からの手紙でレーン氏のことは“お噂はかねがね”状態だったらしい)

前2作では「60歳とは思えぬ若々しい肉体」を誇っていたレーン氏も、さすがに70歳を迎えてかなりくたびれています。

十年の歳月がこの人にいかに過酷な仕打ちを加えたかを知った。それは広い背中を屈ませ、豊かな銀髪を薄くし、顔や手に皺を刻み、足どりから軽やかさを奪っていた。 (P19)

上半身は七十歳という年齢の割に引きしまっているものの、痛々しいほどやせていて、体の調子がよくないのがわかる。 (P156)

それでももちろん頭脳は明晰なままなのですが、そんな伝説の英雄ドルリー・レーン氏を前にして、いきなり見事な推理力を発揮するペイシェンス。「あなたは自伝の執筆を考えていらっしゃいますね!」「タイプライターを独学で練習中でしょう?」と言い当てて、レーン氏を感嘆させます。

で。

父の調査旅行に同行して上院議員殺害現場に遭遇したペイシェンス、現場の状況からすぐに論理を組み立て、「少なくとも犯人の特徴は○○であるはず」「現地の警察はなんでこんなこともわからないのかしら」と思うのですが。
「素人の、しかも若い娘が」という扱いをされるのがわかっている(というかすでにずっとされている)ので、確たる物証がない間は推理を披露してくれません。

もう、ほんとになんだって名探偵は誰も彼も読者に不親切なんですか!?(笑)

警視の子どもで、警察官じゃないのに警視に同行して、父親以上の観察眼と推理力を発揮、でもその推理をなかなか開示してくれないって、まんまエラリーですよね。サム警視との親子のやりとりも、エラリー父子のそれを彷彿とさせます。

サム警視サム警視とつい書いてしまいますが、今は一介の探偵にすぎないサム氏。現地警察の捜査に疑問があってもそうそう口を出すことはできません。ペイシェンスの推理を聞くまでもなく、サム氏自身も「あいつは犯人ではない」と思っているのだけど、確たる「物証」は何もない。「わたしの手には余る」と考えたサム氏、「そうだ!京都行こう!」のノリでハムレット荘に出向き、レーン氏にお伺いを立てます。

かくしてレーン氏、ペイシェンス、サム氏の3人は、無実の罪に問われた男を救うべく奮闘することに。

その過程でペイシェンスは重要参考人に色仕掛けで迫り、いよいよというところで「スパイだったのか!」とバレて危ない目に遭いかけます。

あちらの女好きの性格と、こちらの清純な容姿とを考え合わせると、過去に幾多の大悪党が女の誘惑に落ちたわけだから(後略) (P214)

要は「私のこの美貌なら食いついてくるでしょ?」と考えたわけですが、しかしそんなことして無事に済むと思うのがすごいというか……。正体がバレるバレない以前に、欲しい情報だけもらって自分は何も奪われずにうまく立ち回れると思うなんて、峰不二子じゃないんだからさ。

「貞操を守るべく戦うことを覚悟していた」(P216)とか「抱擁からやっとのことで逃れたが、言い寄ってくるのをはねつけながらも、こちらへの興味をそらさずにおくのに成功したのは、何より自慢できる点の一つだ」(P218)とか、うまく行ったから良かったものの……。もし若い頃に読んでたんだったら、ペイシェンスの自信と大胆さを応援していたかもしれないけど、今はつい「おかん目線」で読んでしまうので、「おいおい、何やってんだ」とヒヤヒヤせずには。

もちろんサム氏は娘がそんな危ない橋を渡っていることは知りません。知ったら卒倒しちゃうよね(>_<)

スパイだとバレ、窮地に陥った彼女を助けてくれるのはジェレミーっていうボーイフレンドなんだけど、その場面まではペイシェンス、彼に対してけっこうすげないんだよね。キスを迫られてもかわしたり、
「悪いやつじゃないけど、今度の事件の役には立ちそうもないわ」って感じで。

それが白馬の王子様よろしくピンチを救ってもらったとたん、

このときばかりは、忠実な若い恋人というものを創り出した神に感謝した。(中略)その誠実で人なつこい顔を見てとてもうれしかったので、わたしはキスを許した。 (P222)

と、てのひらクルー。
状況が状況なのでホッとするのも嬉しいのも、甘えてしまうのもわかるんだけど、「なんて女だ!」と思わないこともない。
お話の最後、ジェレミーのプロポーズをあっさり断ってしまうしねぇ。ジェレミー、可哀想な子。

1933年という時代背景を考えれば、頭が良く、エラリーばりの推理力で事件の真相に迫り、大胆な行動を厭わない若い女探偵、しかも一人称での登場って、かなり画期的な存在じゃないかと思うんだけど、でもこれは「ペイシェンス物」ではなく「ドルリー・レーン物」。
最後、関係者が一堂に会す中、滔々と推理を語り、犯人を名指すのはレーン氏。

相変わらず論理の構築は本当に見事で、消去法推理でその場にいる人物を「犯人はおまえだ!」と名指すクライマックス、『フランス白粉の秘密』を思い出します。
法廷の場面は『災厄の町』を思い出すし。

女探偵そのままでは世間に受け入れられるかどうかわからないから、「レーン物」の枠組みで書いてみた?……と邪推してしまうけど、でも2年で4作、次の『レーン最後の事件』まで、クイーンはきっと完璧にその構成を考えたに違いなく。

この『Z』を踏まえて、一体どんな「最後の事件」が来るのか。
楽しみです。