(※以下ネタバレあります。これからお読みになるかたはご注意ください)


はい、『Xの悲劇』に続いて『Yの悲劇』も読みました。こちらも大変評価の高い名作ミステリなのですが。

うーん。

なんか、好みに合わないな……。同じクイーンさんなのに、どうしてこうも読んでる時のワクワク感が違うんだろう。

前作で主人公(探偵役)ドルリー・レーン氏を「嫌い」と思ってしまった先入観も大きいし、何より今回は事件の舞台となる「ハッター家」が「奇異な血筋」「遺伝的に欠陥のある家系」という設定になってるのが、今読むにはなかなかつらい。

最終的に犯人も「生まれながら殺人者になる可能性を秘めていたのかも」という言われ方をしていて、「○○という動機もあっただろうが、そーゆー血筋だから」で済まされてしまって、ちょっと――だいぶ、むずむずします。

「原著が発表された1932年という時代を鑑みて」と編集部からも注が入っていて、90年前なら仕方ないとも思うのですが、うーん。読んでて楽しくはないですよねぇ。

その財産と、「奇異な家系」で有名なハッター家。ある日、その家の一員、ヨーク・ハッターの死体が発見される。彼の死は「自殺」ということで決着がつくものの、その後、ハッター家では毒殺未遂事件が起き、さらにヨーク・ハッターの妻にしてハッター家の女主人であるエミリー・ハッターがマンドリンで殴られて殺される。
サム警視とブルーノ検事の要請を受け、ドルリー・レーンは捜査に加わるが……。

ヨーク・ハッターはエミリーの二人目の夫で、エミリーと一人目の夫との間に生まれた娘ルイーザは目も耳も聞こえず、話もできない三重苦を背負っています。(これも「血筋のせい」と言われてしまっている)
エミリーとヨークとの間には酒好きで暴力的なコンラッド、奇才の詩人として知られるバーバラ、そして美しいけれども自堕落なジル、という三人の子どもがいて、コンラッドにはマーサという妻と、ジャッキーとビリーという二人の男の子がいます。

その全員が一つ屋根の下に暮らしているのですが、家族の仲はよろしくない。ヨークが自殺したのも、エミリーの圧政に耐えかねたからだ、と周囲が納得するほど、エミリーは暴君であり、実の子どもたちからも、孫からさえも嫌われています。

ただエミリーは三重苦の娘ルイーザのことは大事にしていて、殴られて殺された夜も、彼女と一緒に(同じ部屋で)寝ていた。
目も見えず、耳も聞こえないルイーザ、でも実は犯人に触れていて、「その頬はすべすべしていた」「バニラの匂いがした」と証言する。

最初に起きた毒殺未遂事件ではルイーザが飲むはずだった飲み物に毒が入れられていて、エミリーが殺されたときにも、ルイーザが食べるはずだった果物の一つに毒が仕込まれていた。つまり、2回目の事件でも標的はルイーザで、エミリー夫人は巻き添えを食っただけなのか。さて真相は――。

三重苦のルイーザが、残る「触覚」と「嗅覚」で犯人の手がかりを感じとるというアイディアもすごいし、本当によくこんな事件思いつくなぁ、っていうぐらい「ロジックの構築」はすごいんだけど、面白かったかと言われると「うーん」となってしまう。

我が物顔に捜査に介入するレーン氏、「私は警察の依頼を受けてるんですよ」ってドヤ顔であちこちから情報を仕入れるくせに、思いついた可能性は全然話してくれないし、それどころか途中で「私はもう手を引きます」とか言って理由も言わず降りちゃうし、「何なんだよおまえ」って思っちゃうんですよね。そんな勝手な話があるかと。

最後の種明かしを読めば、レーン氏が「口をつぐまざるを得なかった」のも仕方ない部分があるんだけど、でもそこで苦悩するぐらいなら「私は犯罪研究に向いている」「自分でドラマを操ってみたい♪」なんてお気楽に捜査に首つっこむなよ、と。
まぁ本人も終盤反省してるし、次の作品ではさらに苦悩や葛藤が深まるのかもしれないんだけど。

エラリーの場合は父親である警視が甘々で彼に捜査させちゃうっていう設定があって、警視の部下とも顔馴染み、一緒に捜査するのもしゃーないかー、って思うんだけど。
警視もバカじゃなくてちゃんと活躍する場面があったり、なんか、エラリーの方は許せるのよね。(「エラリーのキャラクターが好きなだけでしょ!」と言われたら否定できない)

こちらではサム警視がかなり能なしに描かれてて、レーン氏のことを好きになれないのにレーン氏の独擅場なので……うー。楽しくページを繰れないよぉ。

名探偵が犯人を知りながらも糾弾することができず苦悩する。まだエラリーが国名シリーズでぶいぶい言わしている段階で、一方でこういうミステリを書いていたクイーン、本当にすごいと思うんですけどね。
最後、もしかしてレーン氏が手を下した???って感じでもあるし。

犯人を名指せない、でも放っておいたら犯人はまた殺人を犯す。犯人が毒薬を持ち去るところを目撃し、「少し弱々しくはあるが決然たる歩みで侵入者の行方を追った」(P369)レーン氏は、その後犯人をどうしたのか。ただ「どこへ行くか見届けた」だけじゃないよね…?

その後犯人は毒入りのミルクを口にして死んでしまうんだけど――そして警察的にはそれは「またしても毒殺事件!」なんだけど。

「弁明の余地はありません。わたしはとんでもない惨事を引き起こしてしまいました。あの少年の死はわたしの、いえ、わたしひとりの責任です。もはや……」 (P376)

と言って、レーン氏はハッター家を後にする。
二ヶ月後、レーン氏はサム警視とブルーノ相手にようやく事件の真相を語るのだけど、最後の毒殺事件――犯人の死の真相については何も答えない。ただ、ブルーノ検事だけは何かを悟り、蒼白な顔で「レーンさんはお疲れだ」と言ってサム警視に退去を促す。

これってやっぱりそういうことだよね……?

引用部のとおり、犯人は少年で、だからレーン氏は彼を警察に突き出すことはしなかったんだけど、でももし、その代わりにレーン氏自らが彼を裁いたのだとしたら。直接的にレーン氏が毒を入れたわけではなく、「君が犯人なのは知っている。自首するか、それとも自分で始末を付けなさい」と追いつめただけ(だけ?)かもしれないけれど、どちらにしてもそれは、「思いあがった行為」なのでは。

『エラリー・クイーン完全ガイド』ではこの作品、「神の領域に踏み込む名探偵」って書かれていたんですよね。やっぱりそういうことなんでしょう。

修道士カドフェルのシリーズでも時々「真相がわかっても犯人を捕まえない」ことがあったと思うけど、あれは中世の修道士世界でもあり、「裁きを神に委ねる」であって、自分が神になろう、ではなかった(はず。もうだいぶお話忘れちゃってるけど)。

もちろんクイーンさんはわざとそういうふうに――「名探偵は必ずしも正義じゃない」ということを描いたのだろうし、その手腕はさすがなんだけど。

うん、「嫌い」と言いつつ、引き続き『Zの悲劇』を読むつもりでいますからね。レーン氏のことは嫌いになってもクイーンさんのことは!

そういえば「女主人が暴君の、奇異な一家」というアイディア、『靴に棲む老婆』もそんな感じでしたね。あっちは楽しく読めたのになぁ……。


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