(※以下ネタバレあります。これからお読みになる方はご注意ください)




宝塚歌劇雪組さんでの『蒼穹の昴』上演を前に、原作を手に取ってみました。
ベストセラーでもあり、お噂はかねがね……だったのですが。

なんか、予想よりもファンタジーというかラノベっぽい感じで、意外でした。かっちりとした史実の上に、予言によって導かれるファンタジーな物語が載っかっている印象。

清朝末期の科挙のすさまじさ、宦官になるための浄身のすさまじさにはひぃぃとなりました。あんなとんでもない試験に合格できる人がよく何人もいたもんだなぁ。それだけ人口の母数が多いってことなんだろうか。

主人公は2人。郷士の次男で、見事科挙に合格して官吏となる梁文秀と、その幼なじみである貧民の子、春児(ちゅんる)。
幼なじみと言っても二人は年齢がかなり離れていて、文秀は20歳、春児は10歳。文秀は今は亡き春児の長兄と「義兄弟」の契りを結ぶほど仲が良く、春児のことも実の弟のように思っている。

極貧にあえぐ糞拾いの子どもと親しくしているなんて、科挙に登第するほどの「名士」にしては珍しいことなんだけど、文秀はもともとかなりの問題児で、親からも周囲からも「変わり者」と譏られていた。
父親は長男の方に期待をかけ、家庭教師をつけてなんとか進士に、と心を砕いていたんだけど、実は弟の文秀の方に天賦の才があったわけです。お兄ちゃんは何度挑戦しても最終試験にもたどり着けないのに、弟の方が……。

親の敷いたレールを真面目に進む上の子より、半ば放置されて好きに遊んでいた下の子が優れているっていうの、あるあるだなぁと思うと同時に、「真面目な上の子」属の私としては「チッ」という気もしてしまいます(笑)。

文秀と春児は、かつて宮中にも仕えていたらしい高名な占い師・白太太からそれぞれ予言を受けていました。

文秀に対しては

「汝は長じて殿に昇り、天子様のかたわらにあって天下の政を司ることになろう。(中略)英明なれどこと志に沿わずさまざまの御苦労をなされる悲運の帝じゃ。汝は学問を琢き知を博め、もって帝を扶翼し奉る重き宿命を負うておる。よいか、文秀。困難な一生じゃぞ。心して仕え、矜り高く生きよ」 (P13)

という予言。
そして春児に対しては
 
汝の守護星は胡の星、昴。
汝は必ずや、あまねく天下の財宝を手中に収むるであろう。 (P5)
汝は遠からず都に上り、紫禁城の奥深くおわします帝のお側近くに仕えることになろう。やがて、(中略)中華の財物のことごとくをその手中にからめ取るであろう。 (P6)

予言のとおり、文秀は科挙を突破し、中央に仕官する身となります。
そして文秀に遠ざけられたと思った春児は予言を信じ、都に上るために自らの手で浄身するのです。浄身ってつまり、宦官になるために去勢する=性器を切り落とすってことなんですけど……。
10歳の子どもが、自分の腰と太ももを縛って、自分で斧を振るうって……春児の度胸というか覚悟がすごすぎる。
専門の、しかるべき職人にやってもらっても、術後の苦痛に耐えられず、また出血等で命を落とす子どもも多いというのに。そしてまた、無事そこを生き延びても宮中で出世できるものはごくわずか。たいていは無惨な死を迎えるだけ――。

春児は職人に頼むお金がなくて自分で浄身したんですが、自分で浄身した子どもにはなんと地方政府から大枚銀五十両が配られることになってるんです。ところがそのお金、あちこちで中抜きにあって、春児の手もとにはほとんど回ってこない。ほんとにいつの世も中抜きってやつは(´Д`)

ともあれ春児は都に行き、かつて西太后の寵を受けたこともある安徳海老人に導かれ、老公胡堂(ラオクンフートン)と言う場所で宦官として必要なスキルを叩き込まれます。そこは病気や怪我などで職を解かれた宦官たちが暮らす、隠居場だったのです。

その中には稀代の名役者・黒牡丹(ヘイムータン)もいて、彼に鍛えられた春児は3年後、宮中でその技を披露する機会に恵まれ、見事「黒牡丹の再来」として西太后に目をかけられることになります。

この辺の展開、ちょっと都合が良すぎるなぁ、と思うんですが、何しろ春児は「予言」を受けてるんだから仕方ない。本人のみならず周囲の人間も、「予言」があることでそれが成就する方へ動いていくんですよね。予言が当たるかどうか、ではなく、「そうなる」と聞いてしまったがために、「そういうものか」とそっちの道を選んでしまう……。

予言の実現性、ある種の「言霊」のようなもの。言葉にされ、発されたがゆえに、それが実現する。

上巻の終盤で、実は春児に対する予言は嘘だったことが明かされるので、一層その感慨が強くなります。先に「確定された未来」があるのではなく、予言によって未来が確定する

白太太はあまりに春児の身が哀れで、「家族全員野垂れ死ぬ」という“真の未来”を告げることができず、「汝の守護星は昴」などという嘘をついたのですが。

「だが史了、わしはけっしてあやつをからかったわけではないぞ。わしは人間の力を信じておる。人間には誰しも、天井の星々をも動かす力が眠っておるのだと信じておる」 (P275)
「それでもわしは信じたいのじゃよ。この世の中には本当に、日月星辰を動かすことのできる人間のいることを。自らの運命を自らの手で拓き、あらゆる艱難に打ち克ち、風雪によく耐え、天意なくして幸福を掴みとる者のいることをな」 (P275)

未来が見えるからこそ――予言の通りに不幸になった人間をあまた知っているからこそ、それを覆す人間の力を信じたいんだろうなぁ。
そうであってほしいと私も思うけれども。

上巻は春児が西太后の目に止まり、出世への道のスタートラインにつくところで終わるのですが、同じように白太太の予言を受け、宮中に仕えることとなった春児と文秀、再会はできるのですが、親しく付き合うことはもうできない。

宦官と官吏は敵同士、その交際は禁じられており、掟を破れば官吏は罷免、宦官は殺される。なぜかと言えば、

「それは歴史の示す通りじゃ。天子のお側に仕える太監が政を司る官吏と結託すれば国を動かせる。多くの王朝がその弊害によって倒れた」 (P180)

から。
なるほどなぁ。春児と文秀、二人の道は分かたれるさだめ、しかも単に「親しくできない」だけでなく、この先本当に敵同士になっていくような。西太后の寵を受けるのであろう春児と、西太后による専政を廃したい勢力に与していきそうな文秀――。

その西太后、「権力を恣にした暴君」として有名ですが、この作品の中では「実はいい人」として描かれています。彼女が「鬼女」なのは、全部乾隆帝のせいなのです。
清朝の最盛期を築いた乾隆帝、西太后の夫であった咸豊帝の曾祖父にあたり、当然もう死んでるんですが、西太后は彼の亡霊「十全老人」と言葉を交わすことができるんですね。この辺もファンタジーみがすごい。

しかも普段めっちゃ怖くてお貴族な感じの西太后が、十全老人相手には「おじいちゃ~ん」ってすっかりカジュアルになっちゃって、その辺のお姉ちゃんみたいな喋りになってしまう。
十全老人だけじゃなく、ごく親しい相手には

「国を憂うる者はみんな早死にして、悪いやつばかりが生き残るの。結局なんでもかんでもあたしがやらなくっちゃならない」 (P206)
「噂じゃみんなこのあたしが毒を盛って殺したことになってるのよ。ころころ死んじゃうから、健康なあたしが犯人にされるんだわ。いったいどうなっちゃってるんだろう」 (P207)

って感じで喋る。落差がすごい。
まぁ読みやすいけど、なんか、ここまでくだけた文章にしなくても……という気がしないでもない(^^;)

西太后は実のところ大いに国を憂えていて、自分の周りに侍ってくる連中のあくどさもわかってるし、現在の皇帝・光緒帝のことも心の底から愛している。
でも乾隆帝の亡霊に、「おまえは鬼女であれ」「おまえが鬼であることでこの国は救われる」と言われてるんだよね。みんながころころ死んじゃうのも、全部乾隆帝の呪い、乾隆帝の策略。

(そちは魔になりおおせねばならぬ。そちが未来永劫に悪名を残してこそ、未来永劫この国の民は救われる)
「わかってる。そんなこと、わかってるよ」 (P214)

(わしの子孫に、そちになりかわるだけの才がおらなんだことは、わしから深く詫びよう)
(わしはまずわが子孫たちから力を奪った。だからわが子孫が自らの手で天下を閉ざすことはできぬのじゃ) (P214)

わかってるの、すごいよね。全部わかって悪役を引き受けてる西太后、ほんとにいい人すぎる。そして乾隆帝はひどすぎ!

なんで乾隆帝がそんな呪いをかけてるかっていうと、

(そもそも天下は虚しい。一人の人間が世界を治めるなど、どだい群れつどう獣の習いじゃ。天下は一君のためにはあらず、万民のためにある) (P212)

と思ってるからなんだけど、なんで乾隆帝が「天下は虚しい」と思っちゃったのかというと、版図を広げ、最も力ある皇帝としてすべてを手に入れた彼がただ一つ得られなかったものが「愛」で、「天下なんて手に入れても俺は孤独だ、虚しい」って理屈で……。

しかもそれを痛感するのが、征服した民族の美しい王妃が自分になびかぬまま死んでしまった時なんだよ。
そんなののとばっちりを何十年後かに西太后が受けてるの。

ひどい。
ひどすぎる。

夫を失い、子を失い、多くの臣を殺し、あげくには亡国の鬼女のように怖れられねばならなかった自分の人生が、ひどい徒労に感じられた。 (P212)

ほんとだよ、西太后の人生って……。

上巻の最後で、光緒帝の叔父・恭親王が

「最も苦しんでいる者、それはわれらではあるまい。夫を失い、子を失い、あげくの果てに天命なき世を背負わされた、あのイエホナラの女じゃよ」 (P350 ※イエホナラの女=西太后のこと)

と言ってくれるのがわずかな救い。彼女の苦しみを理解している人間が、少なくとも一人はいる……。

恭親王が「天命なき世」と言っているのは、天子のあかし、天命のみしるしである「龍玉」がいつの間にか失われ、硝子玉にすり替えられていたから。
天命なき天子に治められているから、清朝は内憂外患でボロボロなのだと。

それもきっと乾隆帝の仕業なんでしょうけど、力のあかしである「伝説の龍玉」っていうのもファンタジーっぽいですよね。

そんなものがなくても、そんないい加減なものに頼らなくても、「天意なくして幸福をつかみ取る」のが人間だと、白太太も言ってます。がんばれ西太后~

雪組版では西太后を一樹千尋お姉様が演じられるということで。
一樹さん大好きだし、超楽しみです!!!
でもキャスト表に「おじいちゃん」こと十全老人の名がないから、くだけた部分とか、苦悩の部分とかはそんなに描かれないのかなぁ。少なくとも上巻のヒロインは西太后なんだけど。

宝塚でのヒロイン、朝月さんが演じる玲玲は春児の妹で、一人ぼっちになっていたところを文秀に拾われ、文秀に淡い恋心を抱きながら育つ少女。上巻ではまだやっと11歳。

彩風さんの文秀はきっととても優しそうで器の大きい、素敵な男性だろうと思うし、朝美さんの春児も強い意志と美貌とで運命を切り開いていく少年、ぴったりな気がする。

10月後半の観劇に向けて、下巻も早く読まなければ!
(読みつけないジャンルの作品なのでどうしても読むのに時間がかかる……ううう)


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