(上巻の感想はこちら

(※以下ネタバレあります。これからお読みになる方はご注意ください)



なんとか宝塚観劇の前に下巻を読み終えることができました。

上巻の最後、13歳の春児が見事西太后の心を掴むことに成功しましたが、下巻冒頭では一気に10年の月日が経ち、春児は23歳。史上最年少の大総管、従三品の掌案的になっています。

一方の文秀は32歳。四品の軍機章京となり、こちらも順調というかかなりの出世。ニューヨーク・タイムズの記者トーマス・バートンに

「三十二歳で軍機処の補佐官を務める大秀才だが、翰林院出身にありがちの高飛車なところが少しもない。(中略)つまり、お国の伊藤や山県に匹敵する人物だ」 (P72)

とまで評されています。しかも露天で似顔絵が売られるぐらい都で人気があるんだとか。へぇぇ。
官吏きっての大天才にして大学者である楊喜楨の娘と結婚し、息子ももうけて順風満帆。春児の妹玲玲は変わらず文秀に仕え、文秀への恋心を秘めて奥方や坊ちゃんの世話をしています。

少爺のお情けでこうしていられるのだから、決してお嬢様にやきもちを焼いたりしてはならないのだ。そう考えついてからは、ちっとも悲しい思いをしなくなった。 (P34)

ああ、玲玲、健気やのぉ。

春児は西太后の側近、そして文秀は光緒帝側の側近で、もともと宦官と官吏は親しくしてはいけないという掟があるのですが、時代はさらに二人の間に強固な壁を作っています。西欧列強と日本が中国を狙う中、いわゆる守旧派・既得権益層と、それを覆そうとする「変法派」と呼ばれる人々。
文秀の属する「変法派」は、「諸悪の根源は西太后。聡明な光緒帝が親政を始めさえすれば……」と、なんとか西太后を隠居させようと画策しています。

二人を隔てるものは、后党帝党などいうなまなかなものではなかった。皇太后宮を差配する三品の掌案的と、皇党維新派の中心人物と目される軍機章京である。たとえすれちがっても、目を合わすことすら憚られる間柄なのだった。 (P17)

というわけで、この10年二人が言葉を交わすことはなく、春児と玲玲が顔を合わせることもありませんでした。

ところが守旧派の謀略により楊喜楨が暗殺され、文秀はその事実を隠そうと楊の遺体を旧知の刀子匠・畢五の家に運び込みます。そこへ偶然春児がやってきて、二人は久々に腹を割って話すことになります。

文秀が「俺は昔、きっとお前にひどいことを言ってしまったんだろう。許してくれ」と頼むと、春児は「おいらが、勝手にへそを曲げちまったんだ。少爺は悪くない」(P195)と言います。そして文秀が「おまえは立派に出世をした。俺は内心鼻高々だ」と褒めると、

「それァ、おいらが立派なんじゃねえ。おいらを守ってくれている昴の星が、そうしてくれてるんだ。おいら、何もしてねえもの」 (P196)

と答えるのです。

春児……なんて心の清いやつなんだ!
西太后側の宦官のほぼトップに登りつめても、春児はまったく驕らず、賄賂を取ったりすることもなく、それどころか多額の報酬を自分のために使うことすらしていないのです。お金は宦官たちの「宝貝」を買い戻したり、教会の孤児院への寄付に使っている。

刀子匠から宝貝を買い戻してやることには、何の下心もない。仕送りする家もなく、養う家族もない春児には、金のつかい途がないだけだ。 (P15)
恩に着せるのもいやだから、彼らには、まもなく刀子匠がご禁制になるので、順次無償で宝貝をもどす、ということにしてある。 (P15)

トーマス・バートンと日本人記者岡圭之介が春児にインタビューして、その発言に感服し、「あれはキリストだ」って言うんだけど、ほんとに菩薩様みたいになっちゃってる。
間近で見ているから西太后慈禧の本当の姿、愛情深さも全部わかっているし、周囲のドロドロした思惑もちゃんと把握できていて、頭も良いんだよなぁ。

慈禧様はあなた方のお国の都合で悪女とされたのです。今日世界中から鬼女と罵られる慈禧様は、あなた方にとってどうしても悪女としなければならぬお方なのでしょう。 (P169)

という春児の指摘は正しいし(トーマス自身が「読み物としてはその方が面白いだろう」などと言って「捏造」を認めている)、

私は今、富と豊かさとの何であるかを、つくづくと思い知らされました。人間の幸福は決して金品では購えない。人を心から愛すること、そして人から真に愛されること、それこそが人間の人間たる幸福なのだと、慈禧様は御身を以て私に教えて下さいました。世界中で最も不幸な慈禧様が、そう教えてくださったのです。(中略)だからお願いです。あなた方も私を愛して下さい。肌の色がちがう、ふしぎな風土と習慣で彩られたこの国の民を、同じ人間として、心の底から愛して下さい。それだけが――すべての人間に幸福をもたらす、唯一の方法なのですから。 (P170)

と外国人であるトーマスと岡に訴える様はまさにキリスト。
本当は子どものうちに野垂れ死ぬはずだった春児、実はもう本当に死んでいて、天使か何かに生まれ変わっているのでは、と思っちゃうぐらいです。わずか10歳の子どもが自分で浄身し、運命を覆した。あの時春児は男でなくなっただけでなく、人間でもなくなったのかもしれない……。

白太太によるあの予言。
「汝は必ずや、あまねく天下の財宝を手中に収むるであろう」という春児への予言は実は嘘だった、と上巻後半で明かされていたのですが。

春児自身、信じてなかったことが判明します。

「白太太はおいらに嘘をついた。そんなこと、はなっからわかってた」 (P339)

えええ、そうだったの??? 私はてっきり信じて動いたからこそ予言が実現した、言葉にされたことでそれは真実になったみたいなことだと思ってたんだけど。

「白太太は、一等大事なものをおいらにめぐんでくれたんだよ。豆や粥は糞になりゃおわりだけど、腹の中にずっとこなれずにあるものを、おいらにくれたんだよ。嘘だってことはわかってたけど、夢に見るだけだって有難えから(後略)」 (P340)

あああああ、春児は賢いな、すごいな。
白太太がくれたものは予言ではなく、「夢」だった!

もちろん「今振り返ってみればそういうことだった」であって、10歳の時に全部理解していたかどうかはわからないけど、「そんなの嘘に決まってる」と思いながらも命がけで一歩を踏み出した春児、それができた春児だからこそ、嘘は真実になった。

春児がこの話をするのは、変法派のクーデターが失敗に終わり、文秀が「反逆者」として捕らえられようとしている時。周囲が文秀に亡命をすすめ、なんとか生かそうとするのに文秀は首を縦に振らない。「あの白太太のお告げの通り、俺は最後まで皇帝に仕えなければならない、それが俺の宿命なんだ」と。

で、春児は自分の話をするわけです。本当は野垂れ死ぬ運命だった自分が、それを覆したことを。

「お告げなんてそんなもんだ。運命なんて、頑張りゃいくらだって変えられるんだ。なあ、少爺、だから生きてくれよ。おいらがやったみてえに、白太太のお告げを、変えてみてくれよ」 (P340)

白太太は下巻にもたびたび出てきて、李鴻章に「あいつはヤバい」と袁世凱を排除させようとしたり、「梁文秀を死なせてはならん」とトーマス達に文秀を助けさせようとしたりします。
予言や天命を肯定するかのような白太太の描写がある一方で、著者は春児に「運命なんて変えられる」と言わせる。

大将軍であり人格者である李鴻章にもこう言わせています。

「運命などとは所詮そんなものだ。人間の力をもってしても変えられぬ宿命など、あってたまるものか」 (P362)

歴史の大きなうねりの中でもがく登場人物たち。その時代、その立場に生まれたことにある程度の「運命」はあって、でもやっぱり人間の人生はそれだけではなく、本人がどう生きるかにかかっている……。

李鴻章が上記の台詞を言うのは、西太后側の側近である栄禄が「わしには天命がある」「幼い頃から何度もこの手に龍玉を抱く夢を見てきた」とのたまった時なんですよね。「わしには天命がある、だから変法派も西太后も追い落とし、自分が天下を取るのだ」と言う栄禄に、「天命?そんなもんあるか!」と一喝するわけです。

乾隆帝のせいですでに伝説の龍玉は失われ、「天命なき天子」たちが国を支えている。西太后がその重荷を必死に背負ってきたことを李鴻章は知っているし、李鴻章自身、国のため民のため私財をなげうって戦い、働いてきた。
龍玉がなんだ、天命がなんだ、ですよねぇ。

李鴻章おじいちゃん、永禄に対してはこんなことも言ってて、めっちゃ格好いいです。

「しかし、万死に値する罪を二つ犯した。ひとつは変法の志士を斬ったこと。もうひとつは、慈禧のいちずな女心を弄んだことだ。是非はともあれ、憂国の衷情とおなごの真心、この二つにはいやしくも男子たるもの、命と代えてでも応えねばならぬ。汝はそれらをともに踏みにじった」 (P361)

惚れてまうやろぉ~~~~~。

運命など覆せる、と言う春児と李鴻章は他の場面でもたいそう素敵に描かれ、一方の文秀は意外に見せ場がない。ないどころか、最後の最後で玲玲をめった打ちにしてただのDV男に成り下がってしまうんですよ。えええ、これを彩風さんがやるのぉ、とかなりドン引き。まぁ宝塚では少なくともあのまんまはやらないと思うけど。

上述の通り、文秀は反逆者として追われる身となり、トーマスや岡、そして春児や西太后の力添えでかろうじて生きながらえるわけです。玲玲と二人、夫婦のふりをして日本へ亡命することになる。でも文秀はそれがたぶん嫌なんですね。自分一人そうやって「逃げる」ことに、まだ納得できてない。だから玲玲に当たる。彼女が文秀のために「泣いてはいけない、笑顔でいよう」と笑えば笑うほど、「おまえは何がそんなに楽しいんだ!日本に逃げるのがそんなに嬉しいか!」と激昂して、ステッキで殴りつける。

……文秀、おまえ、いくら何でもそれは(´・ω・`)

日本に向かう船の中で玲玲をしこたま打ち据えて、その後で光緒帝に向けて手紙を書いて、一応反省はするんですけど。

だから、僕は彼女をやさしく扱っていたわけではない。恥ずかしいことではあるが、僕は持てる者の務めとして、彼女に施しをしていたのだ。そして彼女もまた、それを甘受してきた。 (P398)
さきほど、逃げも隠れもできぬ船室で、僕は彼女を腰の立たぬほどに打ち据えてしまった。打っている最中は、あたかもそれが僕の当然の権利であると思い、僕に打たれることは彼女の義務であるとさえ考えていた。 (P398)

文秀がいなければ玲玲は野垂れ死んでいたし、玲玲はずっと「どうして少爺はそんなに優しいの」と慕ってきたのに、郷士のお坊ちゃんだった文秀にとって玲玲は所詮「哀れな糞拾いの子ども」「施しをしてやらなければならない相手」であり、その施しの対価として、「自分の好きなように扱っていい存在」に過ぎなかった。

手紙の中で文秀は、「変法派の改革が失敗したのはこういう心根のせいだ」「民衆がこんな自分達を支持するはずがなかった」と反省するんですけど、そんな政治的な反省する前に玲玲に謝れよ! 玲玲を愛して死んでいった復生(※玲玲の許婚。後述)に謝れ!!!と思います。

大理石の壷を振り上げたとき、僕はふと考えたのだ。こいつが死んでしまったら、食事は誰が作るのだろう。洗濯は誰がしてくれるのだろう、と。そして彼女もたぶんそのとき、自分の死んだあとこの人はどうやって生きて行くのだろうと、考えたにちがいない。 (P400)

このくだりなんかまさにDV夫の頭の中なのでは、という気がするし、浅田次郎さんの筆が見事ってことなんだけど、秀才なのに高飛車なところがない好人物と外国人からも一目置かれる男が実はこんな奴だったとは……。

そりゃあ文秀のやり場のない気持ちもわかるよ? すべて失って、妻子もおそらく殺されて、こそこそと逃げ出さなければならない。その鬱憤をぶつけられるのはそばにいる玲玲だけ、玲玲に甘えてるんだってことはわかるけれども。

文秀ったら反省文書いたあとまた酔い潰れて、相手が誰かもわからずに玲玲を抱いちゃうんですよ? ただ「腹の中に詰まった澱を吐き尽くすように女を抱いた」――そしてそれが玲玲だったと気付くと「どうして俺に抱かれた」って玲玲の方を責める。
端的に言って文秀、クズじゃね?(´・ω・`)

いくら玲玲が文秀のことをずっと好きだったといっても、玲玲自ら文秀に迫ったことがあったほどだったといっても、こんな結ばれ方はひどいよなぁ。

なんか、最終盤にこのシーンがあるので、読後感がすっかり悪くなってしまいました。上巻よりは面白く読んだのに……。

玲玲、文秀の同志である復生(譚嗣同)と婚約していたんですよね。復生の方が彼女に惚れて、求婚して、まさか自分がそんな立場になると思っていなかった玲玲は大いに困惑したものの、その求婚を受け入れていました。
復生の部屋を掃除しにいったりしながらも、二人の仲は清いまま。まるでおままごとのような“恋人”たち。

変法派としての大仕事をなす前夜、復生はおそらく死を覚悟していたのでしょう。玲玲に改めて想いを告げます。

「あなたのことを、一生愛し続けていいですか。死ぬまで、あなたのことを、今と同じように愛し続けていいですか」 (P319)

自分は文秀のようにできがよくないし、体も弱くて野良仕事もできない。今のまま、出世もせずに死ぬかもしれないけど、それでもいいか、と復生に言われて、玲玲は「いいですよ。私は今の復生さんが大好きですから」(P319)と答える。

復生は玲玲が文秀を慕ってること、気付いていたんだろうなぁ。そして玲玲は、文秀への想いとはまた別の形で、一人の人間として復生のことを好いていたのでしょう。
その後、復生は司直に捕まり、広場で公開処刑されます。何も知らぬままその現場に行き会った玲玲は、目を背けずしっかりと彼の最期を見届けるのです。

「あの人は、今でも私のことを愛してくれているんだから。世界中の大勢の女の人の中から、私だけを選んでくれたんだから」 (P344)
「ひとでなし!私は譚嗣同の妻です。ここで送らせて下さい」 (P344)
「復生さん!私、ちゃんと見てます。ここで、ちゃんと見てますからね!」 (P345)

玲玲に気付いた復生は堂々と死んでいく……。こんな感動的なシーンのあとにクズ文秀が来るわけなので、文秀の株ダダ下がりです。

死を美化してはいけないし、復生自身が文秀に告げたように、「死ぬ方が簡単、生きる方が難しい」のも確かなんだけど、それにしたってなぁ。
ラストで文秀に抱かれたあと、「もうこれきり泣かないからいっぺんだけ泣いてもいいか」と大声を上げて泣きながら「ごめんなさい、復生さん!ごめんなさい!」と謝る玲玲。

玲玲は悪くないから!悪いのは文秀だからっ!!!

続篇で描かれているらしい二人のその後を知りたいような、知りたくないような、複雑な気分です。もしも復生と結婚できていたら、玲玲の人生どうなってたかなぁ。

あと、心に残ったのは王逸と小梅という少女とのエピソード。

文秀と同じ試験で科挙に登第した王逸、その後李鴻章のもとで働いていたのですが、袁世凱の暗殺に失敗し、囚われの身となります。
牢内で王逸の世話をしてくれたのが小梅という耳の聞こえない少女で、王逸はお礼として「唯一自分が持っているもの」=「学問」を彼女に与えます。王逸から文字を学び、「宇宙」という言葉を知った少女は、王逸を逃がすのです。脱獄の手引きをしたことがバレたら命はない、彼女だけでなく、家族ともども皆殺しになることはわかっているだろうに。

貧しく、耳が聞こえないために閉ざされていた小梅の世界は、「宇宙」という言葉を知って大きく開かれた。

「宇宙! あたしのもの! ずうっと、ずうっと!」 (P88)

だから、世界を開いてくれた王逸に、「自分ができるせいいっぱいのお返し」をした。
何もかも奪われても「知識」だけは奪われない、与えることができる、というのもいいし、そうして分け与えられた「知識」が、少女に「生まれてきた甲斐があった(もう死んでもいい)」と思わせるのもすごい。

めちゃめちゃいいエピソードだなぁ、と思うんだけど、実は脱獄前に王逸、「乾隆帝の夢」を見ちゃってて、「死してはならぬ。おまえは龍玉を守護する者、生きて太平の世を開く使命を持っておる」などと言われてるんですよね。
まぁた乾隆おじいちゃんかよ(´・ω・`)
だから王逸は小梅が逃がしてくれようとする時に、「これは天の意志だ」と思うわけ。えー、そんなぁ。

王逸が生き延びることが「天命」なら、小梅ちゃんの献身もただの「星の巡り合わせ」になってしまいませんか? すべては王逸を救うために天が仕組んだこと。彼女の短く苦しい人生は、ただ王逸を救い出すためだけにそこに置かれた一つの駒。
そんなの嫌だなぁ。

その後、王逸は南の農村で勉強熱心な少年と出会い、彼に「自分の持っているもの(学問)を全部あげよう」と誓います。その少年の名は毛沢東と言いました――ええええええ、そんなオチ!?
彼の家庭教師になると決意する時、王逸の脳裡には小梅ちゃんのことが思い浮かび、彼女の分まで、貧しいまま何もできず死んでいった多くの子どもたちの分まで、この少年に夢を託そうと思う。

いい話なんだけど、「小梅ちゃんは前座かい!」という気もちょっとしてしまう。

天命とはなんぞや、人の一生とは……。


最後の最後、西太后は、「宝物など何もいりません、ずっとおそばでお仕えいたします」と言う春児に、「せめてこれを」と金剛石の首飾りを与えます。李鴻章が手ずから細工をして西太后に献上したという、西太后お気に入りの逸品。本物の金剛石にしては温く、まがい物にしては美しすぎるそれは、もしかしたらあの硝子の龍玉のかけらを細工したものだったのかも。

天命なき天子、偽物の龍玉。

でもそれは、とっくに本物になっていたのじゃないかな。


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『蒼穹の昴』上巻/浅田次郎

(※今から手に取るなら文庫版がおすすめ)


 (※続篇を手に取ろうかどうしようか、悩んでます(^^;))