教科としての国語は嫌いだった私なのだけど。
国語の教科書のおかげで出会えた作品、というのもいくつかある。
昨日の『山月記』もそうだし、小学校6年の時に載っていた谷川俊太郎さんの『生きる』という詩も強烈に印象に残っている。

中でも高校3年の、選択の「現代国語」の教科書(というか副読本?)は面白い作品がいっぱいで、例外的に好きな授業だった。
夏目漱石の『夢十夜』や芥川龍之介の『侏儒の言葉』が載っていたのである。

私たちの世代、「高校で夏目漱石」と言えば、なんといっても『こころ』だろう。
1年か2年の夏休みの宿題が「『こころ』を読んでおくように」というもので、2学期早々「Kがどーした」「私がどーした」という陰々滅々とした授業が展開された。

本好きだけれど読むジャンルは超偏っている私、『坊っちゃん』も『我が輩は猫である』も読んだことがなく。(『坊っちゃん』は子ども向けのものをちらっと見たことがあったけど)
いきなり『こころ』。
なんじゃこりゃ。

夏目漱石には手を出さないでおこう、と思うに十分な、うっとうしい内容であった。
なので私は未だ『三四郎』も『それから』も、漱石の長編は一つも読んだことがない。

それが高校3年で『夢十夜』に出会ってしまったのである。
ええええええっっっ、漱石ってこんなファンタジーなの書くんだ!
『夢十夜』というのはその名の通り、「こんな夢を見た」という不可思議な、夢ともうつつともつかないようなショートショートが十個集められた作品だ。(→青空文庫内『夢十夜』はこちら

教科書に載っていたのは、運慶が明治になっても仁王を彫っているという「第六夜」と……何夜だったっけ?
「第六夜」は質問されて答えた記憶があるので確かだけれど、もう一つが思い出せない。「第一夜」……いやいや、「第三夜」だったかな。

「第三夜」は、子どもを背負って歩いている男の話。盲目の子どもの指図通り歩かされ、とある杉の木の前で「ほら、ここだよ。おまえがここで俺を殺したのはちょうど百年前だ」と子どもに言われ、「そうだ、俺は百年前ここで盲目の男を殺した」と思い出す話。
思い出したとたん、背中の子どもが石地蔵のように重くなる。

ホラーでしょう。
心理的なホラー。
背筋がぞくっとする。

漱石ってこんなの書くんだ、と感動した私は本屋に走って新潮文庫の『文鳥・夢十夜』を買った。

昨日読み返して、「第七夜」も良いな、と思ったけれど、やっぱり「第一夜」が一番ファンタジックで好きだ。
いまわの際にある女が男に、「私を埋めて、100年待っていてください。きっと逢いに来ますから」と言う。
男は女の言う通り彼女を埋めて、その墓のそばで待っている。どれだけ待ったかわからなくなった頃、墓から芽が出て百合の花が咲く。
男は、「100年はもう来ていたんだな」と気づく――。

だから「ユリ」は「百合」なのかと思って、いたく感動した。

そんなふうに、100年経って咲けるといい。
100年待っていてくれる人がいるのはもっといい。

オマル・ハイヤムの『ルバイヤート』の、
「千万年を経た時に土の中から
草のように芽をふく望みがあったらいいに!」
という一節を思い出す。

すっかり漱石先生が好きになった私は、『倫敦塔』とか『硝子戸の中』なんかも買って読んだりしたのだった。
「〜な心持がする」などと漱石風な言い回しで日記を書いて喜んだり。

でもあくまで長編は読まない(笑)。

昨日久々に『文鳥・夢十夜』を手にとって、そのしおり紐がはさんであるところを見たら、なんと「ドストイェフスキー」のことが書いてある個所だった。
『思い出す事など』の中の、自分の「修善寺の大患」とドストエフスキーの持病&死刑になりかかった経歴を比較しているところ。

なんだろう、この偶然は。
なんで高校時代の私はここにしおり紐をはさんでいたのか。
たまたまそこまで読んで、紐をはさんだだけなのだろうけれど、当時の私はドストエフスキーのことなんか知らなかった。まだ『カラマーゾフ』も読んでいなかった。

漱石先生は『カラマーゾフ』や『罪と罰』を読んだだろうか? もちろん読んでいただろう。
もしもあの世で漱石先生に会うことがあったら、『カラマーゾフ』についてお話ができるのかもしれない。

「もう100年経ちました」と言って百合の花を差し出すのもいい。

『夢十夜』が発表されたのは明治41年(1908年)。
ちょうど100年前のことなのだった。