上巻の感想記事はこちらなんですけど。

上巻を読み終わったの、3月3日だったんだねぇ。今日何日? 4月の14日だよ、もう。(←注:この部分書いたの14日だった。下巻読み終わったのも14日)

前の感想に書いたように、「面白いんだけど血腥すぎて」積極的に読む気になれなかった。

読めば、ホントに引き込まれてしまうんだけど。

でも、体調の悪い時に読むとヤられちゃうなー、って感じがして。

たとえば、父の見舞いに行く電車の中で、こんな死屍累々な話は読みたくない。だから内田センセの本に浮気したり、『マキアヴェッリ語録』に逃避したり。

やっと、ひもとく気になって、けっこう一気に読んだ。困ったことに、ホント読み始めると面白いんだよなぁ。

メキシコを舞台にした麻薬戦争。悪いのはマフィアだけでなく、アメリカ合衆国もメキシコ政府も、裏で一役買ってる。

政治と経済の高い壁の前に、“正義”は這いつくばるしかない。

主人公のアートは麻薬マフィアを潰そうと孤軍奮闘するけど、彼自身、自分が“正義”だと思っているわけではない。自分の信念のために死なせた部下、罪もない子ども達、赤ん坊。

家族とも別れ、夜ごと自分のせいで死んだ者達の亡霊に取り囲まれながら、それでも“闘うこと”をやめられないアート。

アートは自問する。

麻薬戦争。人生をすべて賭けたこの戦いは、なんのためのものだったのか?
数十億ドルを投じて、世界一抜け穴の多い国境から麻薬を締め出そうと図り、少しも成果が上がらないことを嘆くためか? その巨額の予算の10分の1を教育と医療に、10分の9を供給ルートの遮断につぎ込むためか?それだけの大金をかけても、麻薬問題そのものの根本原因に切り込むには、まだ足りないのだ。
 (下巻P370)

大いなる徒労。大いなる茶番。

麻薬によって生まれるその“金”を、必要とする人間がいる。必要とする政府がある。

アートの宿敵であるマフィアのボス、アダンを香港に連れてきて、高級娼婦ノーラは阿片戦争の話をする。

「1840年代、イギリスは中国に戦争を仕掛け、力ずくで阿片の輸入を認めさせた」
「冗談だろう?」
「いいえ。講和条約の一環として、イギリスの阿片業者は製品を中国に売っていいことになり、国王は香港を植民地として割譲された。阿片を安全に運び込める港を確保できたわけね。陸軍と海軍が麻薬を保護してたようなものよ」
「今と同じじゃないか」
 (下巻P222)

何が犯罪で、何がそうではないのか。

守るべきものは、一体何なんだろう。

「主な登場人物」として名前を挙げられた者達のほとんどは、エンドマークを迎える前に死んでいく。

生き残るのはほんのわずかで、生き残ったからといって「幸福」が待っているというのでもない。

裏切りと報復、血と硝煙の渦巻く大河ドラマ。でも個々の人間達は、必ずしも極悪非道なわけじゃない。もちろん、何の痛みもなく虫けらのように人を殺す奴もいるのだけど、アートの宿敵アダンなんて、もしも扱ってる商品が麻薬でなければ、紳士的で大人しい優秀な経営者に過ぎないと思える。

難病の娘を案じ、愛するいい父親でもあって。

どちらかと言えば臆病で、自分で暴力をふるうことはほとんどない。

自分の手は血で汚さずに、でもたっぷりと血で汚れた金で裕福に暮らす。

……だからこそ、一番の“悪”なのか。

でも、「ヤバい商売」はいわばアダンの家の「家業」のようなもので、他の多くの若者が親の跡を継ぐのと同じように、アダンも半ば自然に受け継いだに過ぎない。

一旦足を踏み入れれば、「殺さなければ殺される」世界なのだし。

後に「凄腕の殺し屋」になってしまうカランにしても、最初はただ、友達を救おうとしただけだった。殺さなければ、友達が殺される。だから一人殺して、報復を逃れるためにまた二人三人と殺して……そして彼の人生は血の海になる。

何が、彼と私とを分けるのだろう。

私は日本に生まれて、銃火に怯えることもなく、世界的に見れば十分すぎるほど裕福な環境で暮らしている。

もしもアメリカに生まれていたら?

もしもメキシコに、コロンビアに、どこかの難民キャンプに生まれていたとしたら?

私が「こちら側」の住人であるのは、ただの偶然に過ぎない。

私が彼らの血腥い世界に足を踏み入れずに済んでいるのは、私が「善人」だからというわけでは決してない。


世界がこんなにもひどいものでなければいいのに。


タイトルの「犬の力」。本文中にほんの数回現れるその言葉は、人間の中に潜む、暴力性、激しい衝動のようなものを指すように思われる。

人間の背負う、“業”のようなもの。

それは「犬」のものではなくて、きっと「人間」だけが持つものだ。