1月22日15時、住友VISA貸し切り公演を観てきました。

フランス発のミュージカル、全世界で500万人以上動員という作品らしく、なるほど「よくできてるなー」という感じでした。

「ロミオとジュリエット」って、話の筋はみんな知ってるわけじゃないですか。どういう展開になるのか、最後にあんなことになってしまうってことをみんな知りながら見ているわけで、「それでも面白く」見せるにはやっぱり工夫がいるよな、と。

いや、まぁ、みんながもう筋は知ってる作品って、別に「ロミオとジュリエット」に限らず山ほど上演されてるんだけども。

結末知ってても人間って色々楽しめるもんなんですね。

…って、何が言いたいのかよくわからない入り方をしてしまいましたが。

うーん、あの、ね。「よくできてるなー」と思ったし、退屈せず最後まで楽しめたし、最後のシーンではそれなりにじーんと来たんだけど、でも「別に宝塚でこれを観たいかって言えばそーでもない」って感じだったの。

海外ミュージカルの常として、トップさん以外にもみんな見せ所があって、コーラスワークとか、普段なかなか歌わせてもらえない人もソロをもらえたり、みんなのレベルをアップするにはいいなと思うんだけど、その分トップさんの出番が少ないわけじゃない?

特にロミオって、爽やかで純な坊ちゃんで、そんなに強烈なキャラクターでもないから。

音月さん、これが大劇場でのトップお披露目なのに今ひとつ印象薄い役だよな、って。

音月さんのジャニーズっぽいチャーミングなビジュアルはロミオに合っていたし、歌もお芝居も良かったのだけれど。

うーん、でも宝塚の男役がわざわざやる役でもない、って思っちゃう。

そんなわけで実はロミオとジュリエットより「愛」と「死」ばかり観ていたのでした。

「愛」と「死」、それぞれを象徴する役が出て来るのです。

台詞も歌もなく、ただダンスだけで「愛」と「死」を表現する役。

「愛」は宝塚オリジナルのキャラクターらしいのですけど。

これがすごくいいんだよ。

「愛」役の大湖せしるさん、めっちゃダンスうまいし。

「死」役の彩風咲奈さんもメークや衣装に助けられてる部分もあるんだろうけどすごい雰囲気あって、途中から私ずーっと「死」ばかり双眼鏡で追いかけてた。

だってすごい細かい演技してるんだもん。台詞もなく、ダンスもなく、ただ壁際に立っているだけ、たたずんでいるだけ、というシーンも多いんだけど、手の動きや表情で演技してて、歩き方にもちゃんと「死」のイメージがあって。

あの大劇場の広い舞台で、みんなのお芝居に絡むこともできずただ「たたずんでいる」ってかなり難しいことだと思うんだよ。精神的にも。

「役」としてはすごいおいしいと思うけど、稽古場でもみんなの輪に入れず一人違うふうに…でしょ。

コーラスナンバー多いのに、「私、関係ない」、的な…。

新人公演ではロミオ役だから、そこでバランス取れてるのかな。「死」としてロミオをじっと見ている経験は新人公演の時に役に立ちそうだ。

フィナーレで普通の衣装の時は「あれ?そんな美形でもない?(笑)」だったけど、「死」として舞台にいる時はめっちゃ格好良くて雰囲気あって良かったわー。

「彩風咲奈、覚えておこう」って思った。

最後、霊廟のシーンも主役二人見ないでずーっと「死」ばっか見てた。

ラストシーンも「おおっ、そういう演出ですか」と「愛」と「死」ばかり…ごめん、音月さん。
 

全体としては「ウエストサイド物語」みたいな「ロミオとジュリエット」で――って、そもそも「ウエストサイド」が「ロミオ」の翻案なんだけれども、設定そのままで「ウエストサイド」のようなパンクなミュージカルにしました、って感じ。

フレンチ・ミュージカルだから音楽的にはパンクじゃないのかな。衣装がパンクな感じ。衣装良かったよね。VISA冠公演だし、お金かかってる(笑)。

設定そのまま現代的なミュージカル(まったく14世紀とは思えない、いつの時代なのかわからないような舞台作り)にして、ちょっと『エリザベート』のトートも入れてみました、的な。

ジュリエット役は二人の娘役が交替でやっているんだけど、私が見たのは舞羽美海さんの方。可愛かったけど、あんまり歌がうまくなかった。でもあまりうますぎない方がジュリエットとしては「初々しく」ていいのかもしれない。歌も演技もちょっともたつくけど必死、な方が16歳の純な乙女らしいよね。

ティボルトは緒月遠麻さん。この人も歌が今ひとつなー。もとが男声用に作られた曲だから難しいというのを差し引いても…。

ティボルトって二番手男役のやる、いわゆる「敵役」の美味しい役なのに、そんなにぱっとしなかった感じ。まぁ私がすっかり「死」に心奪われてたせいもあるんだろうけど。

マーキューシオ、早霧せいなさん。観劇中ずっと「誰かに似てる」と思って考えてたんだけど、『仮面ライダーオーズ』のウヴァだった(笑)。もちろん人間体の方ね。ティボルトよりはお芝居がうまかった。

ベンヴォーリオ、未涼亜希さん。3人の中では一番歌がうまいのかな?音月さんと同期だから一番年長だよね。

ジュリエットの乳母役、沙央くらまさん。いや、この人はなかなか素晴らしかった。乳母自体が「いい人だなー」ってキャラクターで観客への訴求力強いけど、歌も良かったし。男役なんだねー。『カラマーゾフ』の時アリョーシャやってたのかぁ。全然覚えてない(笑)。

新人公演でオスカルやトートもやってるんだ、へぇ。今後の活躍に期待大だなぁ。

「愛」役の大湖せしるさんも男役なんだよね。とにかくダンスが素敵で存在感あった。名前覚えとく。

パリス伯爵、彩那音さん。『カラマーゾフ』のスメルジャコフではなかなかの怪演を見せてくれた彼女、パリスは出番少ないし、つまんない役。AQUA5にも入っていたのに、もうスター街道はそれてしまっているのかしら…?音月さんが1998年初舞台で、彩那さん1999年か。ううむ。

ジュリエットのお父さん、キャピュレット卿は専科の一樹千尋さん♪ 大好きなのよー、一樹さん!お久しぶり!!

私が一番見ていたネッシーさん、シメさん、マリコさんの星組黄金期に副組長・組長をされていた方なのよね。歌がうまくて、もちろんお芝居も貫禄♪ 久々に一樹さんの美声が聴けただけでも行った甲斐があるというもの。

フィナーレナンバー、タンゴが格好良かった。主題歌(?)「AIME」のタンゴバージョン。あの曲、耳に残るね。覚えちゃった。「エメ」ってだけ聞くと何のこっちゃなんだけど、そうか、「Je t'aime」の「aime」なのか。
 

さて、ここからは『ロミオとジュリエット』のお話そのものに関する感想だけど。

ロミオもジュリエットも出逢ってすぐ「運命の人だ!結婚しよう!!」っていうのが、やっぱりすごい(笑)。まぁ家が対立していて普通には結ばれないってわかっているだけに、「既成事実作っちゃえ!」で「さっさと結婚する」んだろうけど。

あの両家って、そもそもなんで対立してたんだろうね。きっともう誰も原因は知らなくて――というか、もう原因はどうでもよくて、憎しみのための憎しみをただかき立てていたんだろう。

そんな中でジュリエットとロミオは憎しみに囚われない自由な魂の持ち主だって、最初から描かれてる。

一方でジュリエットのいとこのティボルトも「子どもの頃はこんなじゃなかったのに、大人達が憎しみを植えつけた」って言う。

他の登場人物も歌ってたかな。大人達が悪いんだ、って。

確かに代々争いを続け、子ども達にも「あいつらとは付き合うな!」って教えてきたのは大人達なんだろうけど。それで「自分は悪くない」と言っても、一向に事態は良くならないよね。

憎しみが苦しいなら、それが間違っていると思うなら、すでに「子ども」ではなく「大人」の立場になりつつある自分が一歩を踏み出すしかないのに。

同じような環境で育っても、ロミオの方は「つまらない争いなんかやめようよ」って言ってるんだし。

あと、ティボルトはジュリエットに片思いしてるわけだけど、あれって単に「手に入らないから欲しい」だけのような。「いとこ同士は結婚できない」という家の掟がなければさっさと手を出して「思ったほどいい女じゃねぇな」で捨ててるかも(笑)。

で、最後の霊廟での悲劇。

「3分待て、ロミオ! 5分早く来い、ロレンス神父!!」

ロミオが毒あおって死ぬとすぐに目覚めるんだもん、ジュリエット。そんでジュリエットが死んだらすぐ来るんだもん、ロレンス神父。いくらお芝居だからって!(笑)

もう少しだけロミオが待てれば、ロレンス神父にもう一度ジュリエット自死のいきさつを確かめるとかしてれば。無事目覚めたジュリエットと旅立てたかもしれないのに。

もちろん、そうなるとお話的には面白くないわけで、そもそもロレンス神父の出した「ジュリエットは死んだふりするだけ」という手紙がロミオに届かないことが問題。

手紙よりも先に親友ベンヴォーリオが「大変だ!ジュリエット死んじゃったよ!!」って言いに来る。そんな慌てて言いに行かなくてよかったのにぃ。親友のためを思って、結果的に親友が死ぬきっかけを作ってしまうベンヴォーリオ。ああ。

でも、たとえベンヴォーリオが駆け付けなくても、手紙とロミオが入れ違いになることは決まっている。

毒を求めるロミオに望みのものを手渡す薬屋はもちろん「死」。

「死」は最初からロミオのそばにある。

いつだって最初から、「死」は我々のそばにある。

二人が死ぬことによって――多大な犠牲を払うことによって、やっと両家の和解がなる。だけどそんな「都合」に関わらず、「死」はいつでも幸福になるべき若者の上に降りかかる。

それに、もしかしてロミオとジュリエットの二人にとっては、そんなにも「悲劇」ではないのかもしれない。

生きて二人で街を出たからといって、二人が「その後」をどれくらい幸せに過ごせるのかはわからない。「愛」がいつまで続くのかも。

ジュリエットにしてみれば、あの時点で無理矢理パリスと結婚させられるのに比べれば、ロミオとともに死ねることの方が「幸せ」だったろうし、ロミオにしても街を追放され、二度とジュリエットに会えないままさすらう羽目になっていたかもしれないんだもの。

死後の世界や魂の不滅を私自身は信じられていないけど、「愛する者とともに逝く」「これで永遠に引き裂かれない」と二人が信じていたなら、それはハッピーエンドだろう。

おとぎ話は「二人は末永く幸せに暮らしました」で終わる。でも現実の人生は恋の成就で終わるのではなく、死ぬまで続く。ハッピーエンドのその後に、まだまだ紆余曲折が待っている。

愛の炎を燃え上がったその時の勢いのまま持続するのは難しい。

燃え上がった時点で死んでしまうのが、実は一番簡単なんだ。

「死」は「愛」を純化する。

だから、「愛」と「死」は初めから一緒にいる。

最後のシーン、自由な魂となったロミオとジュリエットが踊る後ろで、「愛」と「死」もまたデュエットする。

絡み合う「愛」と「死」。

「愛」が「生きる喜び」なら、つまり「愛」と「死」は「生」と「死」。裏表。
 

「死」だけでなく「愛」を出してきた宝塚版、なかなかやる。

(でもやっぱり私はオリジナルで“宝塚らしい”、無茶で濃ゆい作品が見たいんだよね…。“宝塚らしさ”ってゆーのはつまり男役の魅力で、嘘八百な非日常のかっこよさで…。その意味でロミオより「死」の方が宝塚っぽくて惹かれた)