アニメ『PSYCHO-PASS』とハヤカワ文庫のコラボ企画につられ、買ってしまいました!



ご丁寧に2冊も!!!

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』はこれまで何度も買おうかどうしようかと悩んで結局買わなかったので、これを機に、と思い。

『ニューロマンサー』の方はせっかくだからついでに、と。狡噛さんだけじゃ寂しいでしょ。朱ちゃんいないと(笑)。

コラボ企画をネットで知った時に、「どうせ近所じゃ手に入らないんだろうなぁ」と思っていて。

諦めていたのです。

それが先日電車の待ち時間つぶしに入った尼崎駅構内のBOOK KIOSKにコラボ4冊全部しっかり置いてあったものだから、「うぉっ!これはっ!!!」。

ここで会ったが100年目。

いつ買うの?今でしょ!(爆)

と、衝動的に2冊取ってレジに持っていってしまったのです。

早川書房の思うツボですね、ほんま。すぐ釣られるんだから。

でも「紙の本」大好き人間として、「紙の本を読みなよ」に釣られないわけには。槙島さんのイラストが4冊とも違っていれば4冊とも買ったかもしれないのに(おい)。

しかし尼崎のBOOK KIOSKは小さい店舗なのにホント、品揃えが通です。いつも(というほど行かないけど)お世話になってます。書店は大ききゃいいってもんじゃないんですよねぇ。近所のスーパーの方が広いし本の数も多いはずだけど、欲しい本が全然置いてない。私の好みが偏ってるのはわかってるけど、ちゃんとその偏りに合う、それでいてベストセラー本もしっかり置いてある小さなお店もあるんですから。

……相変わらず前振り長いですね、すいません。本題です。本の中身です。ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』です。

サイバーパンクというジャンルを打ち立てたと言われている作品。もちろん名前は知ってました。

アニメ『PSYCHO-PASS』の中では、「どうでもいいんだけどさ、すご腕のハッカーがギブスン好きってのは出来過ぎだな」などと言及されています(帯にもこのセリフが掲載されています)。

「サイバーパンク」をWikipediaで見ると、代表的な作品としてこの『ニューロマンサー』、『攻殻機動隊』、『マトリックス』、『電脳コイル』などといった作品が挙げられています。

ああ~、あ~ゆ~感じの。と、わかる人にはわかるでしょう(笑)。

“典型的なサイバーパンク作品では、人体や意識を機械的ないし生物的に拡張し、それらのギミックが普遍化した世界・社会において個人や集団がより大規模な構造(ネットワーク)に接続ないし取り込まれた状況(または取り込まれてゆく過程)などの描写を主題のひとつの軸とした。さらに主人公の言動や作品自体のテーマを構造・機構・体制に対する反発(いわゆるパンク)や反社会性を主題のもう一つの軸とする点、これらを内包する社会や経済・政治などを俯瞰するメタ的な視野が提供され描写が成されることで作品をサイバーかつパンクたらしめ、既存のSF作品と区別され成立した。” (Wikipediaより)

映画『マトリックス』等でお馴染みになった、いわゆる「電脳世界」、物理的現実ではない「仮想現実」に自由に行き来し、何ならそちらで「生活」してしまえるような世界。

そしてその電脳空間を自在に動き回るハッカー達。

今でこそそのような概念は「お馴染み」ですけど、この作品が発表された当時(1984年)はかなり斬新だったことでしょう。もしも日本語訳が出版された時点(1986年)に読んでいたとしたら、私は用語や描写、“設定”が理解できずに挫折していたかも。

正直、すごく読みにくいんですよね。

カタカナルビ付きの熟語が山のように出て来る上に、その用語がどんな機械や技術を指すのかほとんど説明されない。情景描写も羅列的で、なんていうか、小説というより映画っぽい。シーンの切り替えの多い、言葉よりもイメージで物語を紡いでいく感じ。

『レ・ミゼラブル』や『モンテ・クリスト伯』といった「物語」にどっぷり浸っていたあとでは、「ってゆーかこれ、“物語”じゃないよね」って言いたくなるほど。

描かれている情景がなかなか想像できないし、場面の切り替えが多くて、リアルとバーチャルの境目も「あれ?今どっち?」って感じでなかなかついていけない。羅列されるイメージのそこここに“謎”のヒントが隠れていそうで、でもそれを把握できるほど文章を呑み込めなくて。

でも。

たぶん、全部理解する必要はないんでしょう。別にわからなくても、テストされるわけじゃない。変に理解しようとせず、切り替えが生み出すリズム、独特の文体・構成の生み出す波に揺られるのを楽しむのが、この手の作品の妙のような気がします。

理屈じゃないんだよ、っていう(笑)。

もちろん「理屈」はちゃんと通っていて、すごく考えられた設定であり、お話の展開だとは思うんですけど。

最初の3分の1ぐらいは、慣れなくてちょっとつらかったなぁ。

半分くらいまで行ってやっと、この世界を楽しめるようになってきました。

物語は、なぜか千葉から始まります。未来の千葉。

なぜ千葉(笑)。

千葉なのに「滋賀通り」とかあるし。

忍者とか手裏剣とか、東洋趣味も「パンク」のうちなのでしょうかね。

凄腕のハッカーだったけど、神経系に操作をされたことでその能力を失い、故買屋みたいなことをやっているケイスが主人公。ある日彼のもとに、「神経を元通り治してやるから仕事を手伝え」と謎の男アーミテジがやってくる。

同じようにアーミテジに雇われているらしいモリィという女性とともに、ケイスは「なんだかよくわからない、でも確実にヤバそうな仕事」に手を貸すことに。

ケイスはハッカー、つまり「電脳」担当で、モリィの方は「戦闘」担当。リアル世界で肉体を武器に戦うのは女性のモリィの方なんですよね。

彼らに指令を出すアーミテジ自身も「何者か」の命令で動いているようで、モリィとケイスはそれを探ろうとしていきます。

で。

実は黒幕は人間ではなくAI(人工知能)、そのAIの策略を阻止しようとしているのもまた別のAI……というような展開に。

お話の波に乗れるようになっても、状況の3分の1くらいはたぶん理解できてませんでした。

でも楽しめた。

最後に「あー、なるほど」みたいな。

自律AIは“生きている”のか、AIによって作られた電脳空間にいる“人間”は生きていると言えるのか。リアルでは死んでしまった人間を、AIは電脳空間で“生かし”続けている。

それは“データ”でしかないけれど、でもリアルな人間もまた“データ”の集積に過ぎないのではないのか。DNAという“情報”に基づき組み立てられたパーツが総体として「リアルな命」になっているなら、精巧な“データ”の組み合わせにより“自律”していると見える存在もまた“生きている”と言えるのではないか……。

電脳空間に入り浸る人間は、しばしば“肉体”を蔑視する。

物理的現実を担保するのは肉体。でも神経を操作すれば、実際に肉体が傷つかなくても「痛み」を感じることはできる。

そもそも「物理的現実」とは何なのか。私たちが知覚し認識できるのは、脳が情報処理をした“結果”に過ぎない――。

「心は“読む”もんじゃない。いいか、あんたですら活字のパラダイムに毒されてる。読むのがやっとのあんたですら、な。おれは記憶に“出入り(アクセス)”することはできるけど、記憶は心と同じじゃない」 (P323)

これ、AIが人間に向かって言ってるセリフです。

哲学的だ、人工知能。

「つまり――“事象”だって。で、それがあたしたちの地平線で。“事象の地平線”って言ってた」 (P459)

これは電脳世界に存在させられているリンダのセリフ。今いる場所から出られない。見えるけどいけない向こう側。近づくほど小さくなる「こちら」。それはつまり、「作られた世界」だから、ってことなんだろうけど。

その外側に、作られた存在である彼女は行くことができない。

「事象の地平」って川原泉さんの本のタイトルでもあるけど、


れっきとした物理学用語でもあります。(Wikipedia事象の地平面

作られた存在だから、電脳空間だから、「そこから先は世界がない」になるわけじゃなく、「物理的現実」であるこの世界にも、「事象の地平線」は存在する。

うん、まぁ、ブラックホールの境界面なんか、現実に訪れた人なんかいなくて、「理論的にはそうなる」と思われているだけなんだろうけどなぁ。どんなに精巧な理論で、どんなにそれが「物理的現実」をうまく説明しているとしても、それもまた人間の認知に過ぎなくて、人間が「データ」を駆使して作り上げたものに過ぎなくて……。

AIとAIとの戦い(?)で、最後に必要なキーワードが「名前」である、というのがまた面白い。

「悪魔を呼び出すには、そいつの名前を知らなくちゃならない。人間が、昔、そういうふうに想像したんだけど、今や別の意味でそのとおり」 (P461)

「ニューロは神経、銀色の径。夢想家(ロマンサー)。魔道師(ネクロマンサー)」 (P461)

「すごい面白かった!」ってわけではないし、どっちかっていうと苦手な作風だけども、この作品が登場してきた時の「おおっ!」っていうどよめきはわかる気がするし、今作と同じ設定で描かれた「スプロール3部作」の他の2作も読んでみたくなりました。



が、どちらも絶版状態。

Amazonレビューを見るとむしろ短編集の『クローム襲撃』の方が面白かったり、『カウントゼロ』の方が読みやすかったりするみたいなのに。

『カウントゼロ』の方は近所の図書館の書庫にあるようなので、借りてみようかな、と思っています。

モリィの前日譚が入ってるという『クローム襲撃』も、県立図書館まで行けばあるらしいけど。

なかなか、画期的な作品を書いても、それ以外の作品まで末永く出版され続ける、というふうにはいかないものですね……。


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