先日、だいぶ前に録画したNHKの『ポアンカレ予想・100年の格闘~数学者はキノコ狩りの夢を見る~』を見ましてですね。

なかなか面白かったので、おさらいしようと思って本を買ってみました。

ちなみにNHKの番組はもともと2007年に放送されたもので、すでにDVDも発売されています。


ロシア人数学者ペレルマン氏がポアンカレ予想を証明する論文を投稿したのが2002年から2003年にかけて。そしてその論文が他の数学者たちによって検証され、ペレルマン氏がめでたくフィールズ賞を受賞(しかし辞退)したのが2006年。

その翌年に製作されたのがNHKのこのドキュメンタリーだったのですね。

ポアンカレ予想に取り組んだ数学者達の「100年の格闘」よりも「賞を辞退し世間から姿を隠してしまった」ペレルマン氏の話に重点が置かれていた(と、私には思えた)のも無理からぬことでしょう。

「キノコ狩りの夢」云々も、世間から距離を置いたペレルマン氏の趣味がキノコ狩りで、もしかしたらそこで彼と出会えるかもしれない……みたいな話で、「ポアンカレ予想とキノコの形には何か関係が!?」と思った私の予想は見事にはずれました(笑)。

ちょっとあのタイトルは「やらせ」というか詐欺というか、無理矢理な感じがしたなぁ。

で、そのNHKの番組では映像を駆使してわかりやすく「ポアンカレ予想が何を言っているのか」を説明してくれたわけなのですが。

わからなかった。

ある物体にロープをかけて、そのロープを表面から持ち上げることなくするりと1個所に引っ張れたらその物体は球体である。

みたいな話なんですよね。

目の前の丸いものは、見れば「丸い」とわかるわけで、ロープをかけてみる必要なんてないんだけども、たとえば地球の表面というのは、その上に乗っかって生活している私たちには「本当に丸いかどうか」わからないわけです。

要するに、何らかの多様体――この場合で言えば球面――の上をあなたが歩いているときに、あなたはそれがどんなものであると認識しうるか、ということだ。 (P200)

と、この本の著者スピーロさんも説明してくださっています。

実はドーナツのように地球の中央に穴が開いていたとしても、その穴があるのとは別の方向に周回していれば、ただの「球面」のようにしか思えないわけで。

この、「穴があるかないか」というのが、「ポアンカレ予想」が出て来た「トポロジー(位相幾何学)」では重要らしい。

NHKの方でもやっていましたが、穴がない物体は三角錐でも円柱でも「球体」で、穴が一つだけある形(たとえば取っ手つきのカップとか)はすべて「穴一つのドーナツ形」として分類される。

Wikipediaの「位相幾何学」の項にも、「カップがドーナツへ変形していく画像」が載っています。

スピーロさんは、ペレルマン氏のフィールズ賞受賞と辞退から話を始め、ポアンカレさんの生涯とその研究・業績を説き起こし、数学の中に「トポロジー」という分野が現れてきた経緯、そしてその発展について語ってくれます。

で、たぶん、スピーロさんはわかりやすく説明してくれているのでしょうけれども。

……わかりません。二次元球面はまぁ、わからないこともないけれど、四次元空間における三次元表面とか言われるともう……。

ついてこれているだろうか?たとえだめでも、トポロジーという学問のひとつの魅力が、その独特なわけのわからなさだということを覚えておこう。 (P165)

ははは。「わけがわからなくて」いいんですね。それが魅力なんですね(笑)。

全408ページの本書の中で、「ポアンカレ予想」の正体にたどりつくのが167ページ。

「どのように掛けられた輪ゴムも一点に縮めることができる三次元物体は、球面に変形できる」。つまり、三次元球面を識別するのに必要な情報は一次元ループだけでいいのではないかとポアンカレは考えたのだ。 (P167)

要するに、

ポアンカレ予想とは、球面をほかのトポロジー的対象と区別するものは何であるかを決定することだからだ。 (P200)

ということで、「どういうことを言っているか」というのはなんとなくわかる気がしないでもないのですが、169ページから始まる「ポアンカレ予想証明に至るまでの数学的道筋」になると、やっぱりわからない。

物体を三角形分割したあとにその一部を一つずつ取り去っていき、最終的に一点だけが残る様に収縮できるなら、その物体は「縮約可能である(collapsible)」と言われる。またある物体を、その内部のある経路に沿って各部分をすべて一点に向かって動かしていき、最終的にその一点に収縮できるなら、その物体は「可縮である(contractible)」と言われる。 (P197-P198)

一体何言ってるんですか!?日本語でしゃべってください!!!

7次元における球面とかもう全然わからないんだけど……球面は球面でいいのかな。どんな高次元になっても三角は三角でいいの???

ポアンカレ予想は高次元での方が先に証明されて、三次元での証明が最後まで残ったそうな。

証明しようとする試みの、数学的な部分はさっぱりわからないんだけども、それぞれの数学者の人生とか奮闘ぶりは面白く、わからないながらもページは繰れます。

「S3(3は上付き文字。三次元球面のこと)に埋め込み可能な三次元開多様体の、写像度1の固有写像の像である、非輪状の既約な三次元開多様体がすべてS3に埋め込み可能である場合に限って、ポアンカレ予想は成立する」 (P272)

という意味不明な文章をスピーロさんはわかりやすく(?)

「アルバムに貼ることのできる光沢仕上げ写真をモノクロコピーした、粒子の粗い、小さな角判の光沢仕上げ写真をすべてアルバムに貼ることができる場合に限って、ポアンカレ予想は成立する」 (P273)

という比喩に言い替えてくれたりもするし。

言い替えてもらってもピンと来ないですけど(苦笑)。

ついにペレルマン氏が3次元の証明をなしとげ、

まいったか、ポアンカレ予想。 (P334)

と言ってしまうスピーロさんは実にお茶目(でもやっぱりわからないからまいるもまいらないもない(笑))。

ペレルマン氏はその証明を学術誌に発表したのではなく、論文投稿サイトのようなところにアップしたらしいのだけど、

arXivに投稿された三篇のなかに、ポアンカレの名前はまったく――ただの一度も――出てこない。ペレルマンは自分がポアンカレ予想を証明したと、ことさらに主張してはいない。 (P336)

のだそうな。

その後の「隠遁生活」といい、派手に騒がれることを望まない人柄がここにも表れているのかもしれません。

論文の精査には時間がかかり、また、ペレルマン氏の書き方は簡潔すぎて「間を埋める」作業が必要だったそうで、彼の論をもとに「自分達こそが証明を完成させた」という人々まで出て来たのだとか。

どんな世界でも「一番乗り争い」というのは熾烈なものですが、100年解けなかった問題を解いて歴史に名を残すというのは、賞金があろうとなかろうと、大変な名誉。

数学者の皆さんがぴりぴりするのも無理はありません。

でもたぶん、「ポアンカレ病」などと言って取り憑かれたようになってしまうのは、名誉より何より、やっぱり「それを解きたい」という数学者の「業」のようなものなのではないかしら。

中学校程度の数学でも「解けたぁっ!!!」っていうあの快感は格別ですから。



全然わからなくても――わからないということも含めて――楽しめました。


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