クイーンの『ドラゴンの歯』の感想記事でもちらっと触れた早川書房の「櫻井孝宏×早川書房 ミステリフェア」で取り上げられている一冊です。

こんなフェアされたら買わないわけに行かないので……と言ってもお財布と置き場所の問題でとりあえずこの一冊しか購入できてませんが(^^;)



近所でフェアやってると思えなかったので紀伊國屋グランフロント店で買いました。通販だと櫻井帯付いてないかもしれないから、こういう「新しく帯を付けてフェア」は“書店で買う”いい動機付けになりますね。まぁ田舎では結局書店では買えないことも多いですけど。

櫻井さんによるこの本の推薦コメントは「言語矛盾ですが魔術による科学捜査なんです」ということで。

科学ではなく魔術が発達した架空の20世紀が舞台。
史実では40歳そこそこで死んでしまった獅子心王リチャードが一命を取り留め、見事な統治能力を発揮、そこから続くプランタジネット朝による「英仏帝国」が800年にわたりヨーロッパに君臨しています。

産業革命は起こらず、作品が書かれたと同じ“1964年”頃を舞台としながらも、雰囲気はまったくの中世。

「科学的魔術」が発達して、「懐中電灯」も魔術で実現されています。

それは、帝国政府の秘密に属する、奇妙な装置だった。この種の魔力の唯一の動力源として知られる、ひと組の亜鉛の小片が、鋼鉄のワイヤを途方もない高温に熱する。すると、細いワイヤが白熱して(中略)秘密は、その鋼鉄フィラメントの魔術的処理にあった。 (P146)

戸締まりなんかも、「鍵」に魔術師が封印を施すことでセキュリティアップ、冷蔵庫のような「中に入れたものが腐らない箱」も魔術によって開発されているそう。

ロンドンのマスター・サイモンが、食物を腐敗から守るための新たな基本理論を考案しましてね。個々の食品に(中略)呪文をかけるのではなく、特別な構成の呪文をかけて、そのなかにおさめられたものを腐敗から守るというやりかたを創出したのです。 (P258)

新製品というか“新魔術”なのでその「防腐箱」はまだまだお高い……なんて話を聞くと、この世界の魔術が現代の「科学技術」とほぼ同じ立場にあるということがわかるし、もっぱら理論を研究する「理論魔術師」がいるというのも面白い。

ひとの心には妙なゆがみがあり、それがために、恐れをいだいた者は、許可を持つ立派な魔術師や〈教会〉公認の聖職者ではなく、その対極にある、見るからに怪しげで、ひねくれた“魔法使い”のもとをこっそり訪れるほうを好む。大多数の者が心の奥底に、悪は善より強力なのではないか、悪に対抗できるのはより強力な悪ではないかという疑念を、ひそかにいだいていた。 (P112)

という記述も、「科学」と「エセ科学」の関係を思わせます。

なので、「中世風世界」なのに「魔術」によって「科学的捜査」ができるという、なかなか面白いミステリになっています。

「SFミステリとして高く評価されている」とカバーに書いてありますが、ファンタジィミステリと言う方がしっくり来るような。

で。

探偵役は、国王の弟ノルマンディー公リチャード直属の特別捜査官ダーシー卿。彼自身は魔術師ではなく、「助手」というか「鑑識役」として法魔術師マスター・ショーンが付き従います。

マスター・ショーンが集めた手がかりをもとにダーシー卿が推理&行動し、見事真犯人を突きとめる。歴史ファンタジイでもありバディ物風味もあり。

この本には中編3篇が収められていて、最初の『その眼は見た(The Eyes Have It)』では、清水玲子さんの『秘密』に出てくるMRI捜査のように、魔術によって「その人が死ぬ瞬間に見ていた映像」を取り出します。

そんなことができるんなら地道な捜査なんか要らないじゃん、と思ってしまいそうですが、そこに至るまでのダーシー卿の推理があってこその「眼に映っていた犯人の顔」だし、実のところそれは「決定的証拠」にならないんですよね。

主観的現実が客観的な画像として表現されるとき、そこにはつねに歪曲が生じます。(中略)言い換えるならば、美というのは、それを見る者の眼のなかにあるということです。 (P91)

『秘密』のMRIは「眼」ではなく「脳」の情報を取り出すもので、「脳が処理した外界」は、必ずしも「客観的世界」ではなく、その人の主観によって「そう見えた」世界。魔術によって再現された映像も同じで、「歪曲が生じる」ため、「法廷において客観的な証拠として採用されることはない(P91)のです。

この辺の設定心憎いし、「真犯人を断罪することだけが正義ではない」という決着のつけ方も、「中世風パラレル世界」ならではです。その辺り、修道士が探偵役を務めるカドフェルシリーズを彷彿とさせるところがありますね。

続く『シェルブールの呪い(A Case Of Identity)』ではポーランドが敵国として出てきます。工作員を使って噂を流し、英仏帝国の海運に打撃を与えようとするポーランド。その秘密工作員たちの動静を探っていたシェルブール侯が行方不明になり、ダーシーが捜査に当たることになる。

シェルブール侯の私的秘書として登場するシーガー卿という人物の造型が興味深かったです。ハンサムだけど無表情で、どこか近寄りがたい、シェルブール侯夫人に「生きもののようにはとても見えない」と評されるシーガー卿。

ネタバレになってしまいますが、彼は生まれつきいわゆる「サイコパス」で、魔術により「周囲に危険を及ぼさないよう」矯正されていたのです。だから、「無表情」。自我を完全に奪われているわけではないけど、

おのれの意志のみに基づいて他人を殺すことはできず、自己防衛すらできないようにされていた。 (P217)

この「自己防衛もできない」っていうところがなんとも哀れで、そしてリアル。良心を持ちあわせないサイコパス、ただ言葉で侮辱されただけでも「自己防衛」として相手を殺してしまうかもしれない。だから「自己防衛もできず」、ただ誰かの命令によってのみ発動する「剣」として利用されていた。シェルブール候夫人が看破したとおり、彼はある意味「生きもの」ではなく、「道具」としてしか存在を赦されていなかったのです。

一生を檻に閉じこめられて過ごすよりは、外で「国王のために」働ける方が「いい人生」かもしれないけど、そういう技術(魔術だけど)が確立したとして、実際にそれを行うのは倫理的にどうなのか。アニメ『PSYCHO-PASS』の「犯罪係数により隔離・処分するのは正義か?」という問いを思い出します。

3作目『青い死体(The Muddle of the Woad)』には「聖古代アルビオン協会」という秘密結社が出てきて、その活動を探るため「二重スパイ」となっている理論魔術師がダーシーの捜査に協力します。アルビオン協会はダーシーにしてみれば「国家の敵」なのですが、

「彼らは国家のためにならないとお考えにならないように。彼らは国家のためと思っているのです」
「彼らは王のため、国家のためと思っている――ただし、その方法は、あなたやわたしが考えるのとはいささか異なっているのです」 (P264)

と、その魔術師は説明します。
『その眼は見た』の客観的事実と主観的事実の話もそうですが、

「人間の行動は、なにがほんとうに真実なのかではなく、その個人がなにを信じているのかをもとに判断しなくてはいけないでしょう」 (P262)

という作者のスタンスがいいです。

ミステリとしての謎解き部分もきちんとしているし、魔術による「鑑識」の技も楽しく、さすが櫻井さん推薦のことだけはありました。

ダーシー卿&マスター・ショーンのシリーズには『魔術師が多すぎる』という長編もあり、1977年に邦訳が出版されています。早川さん、こちらの新訳復刊のご予定は……?



解説によると他に中短篇が7篇あるそうですが、単行本にはなっていないらしく。



講談社文庫『SFミステリ傑作選』に『重力の問題』という一篇が(アシモフのダニール&ベイリ物も入ってます!)、そして新潮文庫の『SF九つの犯罪』(編者はアシモフ!)に『イプスウィッチの瓶』という作品が収録されているそう。



図書館で借りてみようかな。(しかしSFミステリ傑作選の方は県立にもないもよう。残念)