引き続き橋本さんのご本です。

『思いつきで世界は進む』は生前に刊行された最後の時評集ということになると思いますが、こちらは最後の「小説」。

2017年に「文藝」誌に3回にわたって連載された作品です。

「落語世界文学全集」と銘打たれているとおり、「橋本治・口演 酒井捏造・速記」という体裁になっていて、小説というよりは「語り」。
浄瑠璃とか江戸時代の歌舞伎とかが橋本さんのもともとの専門分野(?)ということは存じているけど、ハムレットをこんなふうに創作落語にしちゃえるのすごい。

また書き下ろしの解説が見事なんですよ。

「若月弦之助」という大正二年没の文藝評論家が「7、8年前に川上貞奴のオフィーリアを見た」と言ってシェークスピアの『ハムレット』について語る体(てい)になってる。

最初、本当にそういう名前の評論家さんがいるのかと思っちゃった。実際に若月某さんという人がいて、その人が昔書いたハムレット論を転載しているのかと……。

剰(あまり)に冗長(くだくだ)しく、折角貞奴が出ておるのだから、ここのところを浄瑠璃にでも仕立てればよきものを等と思いはしたが、近年逍遥翁の翻訳による『ハムレット』を一読したところ、然(そ)うしたものでもなかったかと思い至った。 (P196)

なんて文章をさらりと書いてしまえる、さすがとしか。

「本朝の芝居とはこう違う。これが西洋というもの」という感じで本家『ハムレット』を紹介してくれていて、なるほどと思わされるし、ちゃんと読んだことない『ハムレット』を読んだ気になれる。本編以上にこの『ハムレット論』が面白かったです。



(坪内逍遥さん版、青空文庫にあるかと思ったらなかった。国立国会図書館公開資料版↓)


さて、『ハムレット』、お芝居も見たことないので、この落語版『ハムレット』がどれくらい原典をおちょくってるのかわからないんですが。

なんせ「おいぼれ」。「生きるべきか死すべきか」と悩んでいたハムレット王子、悩んだ割には(?)長生きをして80歳を過ぎ、ホレイショーやローゼンクランツ達もみんなジーさん。王妃ガートルードはバーさんで、オフィーリアの父ポローニアスは108歳。ヨボヨボどころではない有り様なのにまだ大臣の座についています。

80過ぎたハムレットが城壁で幽霊を見ても「ボケて何でも幽霊に見える」にしかならないし、まったく話が通じない。

かたや尼寺へ行ってン十年が過ぎたオフィーリア。こちらもとっくにバーさんのはずだけれど、

出家して尼さんになった時からオフィーリアは変わりません。現世と縁を切った修道院の中で、時というものは数層倍ゆるやかに流れますもんですから、コラーゲンなしでも皮膚はプルプル。 (P177)

と羨ましい限り。

で、このオフィーリア、なんでもかんでもBLにしてしまう「汎BL主義」の人物として描かれ、「聖書に関心はおありですか?」とやって来ていながら携えているのはいわゆる「薄い本」という……。

でも彼女が「王子様(ハムレットのこと)はゲイなんだわ!」とか「ローゼンクランツとギルデンスターンはできてる!」と思ってしまうのも無理からぬこと……と思えなくもないように描かれている。

『桃尻娘』シリーズの中に出てきたあれ、「男の子達は手を繋いでたわ!」。

なんだかんだジーさんになっても仲良く「自分達の世界」で生きて、まったく日本語が通じない(まぁそもそも日本人じゃないけど)ハムレット達を見ていると、ガートルードのように「ほんとにあのボケ老人どもときたら!」とイライラしつつも諦めるか、「男は所詮、女より男が好きなのよ」と汎BL主義で納得するしか。

可哀想なのはハムレットの次男で、次期王様かすでに王様なのかよくわからないクローディアス。

えーっと、原典のクローディアスはハムレットの叔父さんで、母とその叔父が共謀して父王を殺したから城壁に亡霊が出て……みたいな話のはずですが、「長男はハムレット、次男はクローディアス」と三代続けて同じ名前なので、ボケたジーさんハムレットにはもう誰が誰やらわからず、

「なにもかも妃ガートルードの企み! 吾が子クローディアスを王位に即けんとして、吾が子ハムレットを殺したのじゃ!」
「ああ、もう話がグダグダで、なにがなんだか分かりゃしねぇ」 (P22)

ってなことに。

落語ですから本筋の合間には

デンマークには漢字がない。だから、親父も息子もそのまた息子も三代続いて同じ名前のハムレットになっちまいます。 (P23)

日本で親の名を継ぐのは一人前になってからだが、あちらでは子供の時から親の名前だ。漢字のない国は大変でございます。 (P23-24)

といった語りが入りますし、

平和というものは恐ろしいもんでございますな。「これでいいんだ」と思っているから、若い奴は好き勝手なことを言ってどこやらへ行ってしまう。跡継ぎの若いもんがいなくなっちまっても、年寄り連中は「俺らはまだ若い」と思っているから、一向に平気で変わりゃしない。 (P61)

なんていう、今の世相に対する皮肉のようなものも入ります。

ラララ、ランドセルは天使の羽♫ (P162)

まで出てきてホントに。
橋本さんもあんなコマーシャル見てらっしゃるんですねぇ。私があれを見るのは主にニチアサ(仮面ライダー&戦隊)なんだけど、まさか橋本さんも……?

ハムレット一家の“本筋”はジーさん達のドタバタ劇で、一人まともっぽいクローディアスが気の毒で、読んでてイライラというかもう「付き合ってられんわ!」とほっぽり出したくなったりもします。

うん。

これ、実際に「落語」として語りで聞いてるんならそうでもないかもしれないけど、文章で読むとちょっとクドくて、半分くらいで「もうお腹いっぱい」な感じが。

大きな活字で、分量としてはそんなにないんですけど、「ストーリーを楽しむ」というものでもないので、ちょっと後半読み通すのがしんどかった(^^;)
すごくこう、懐かしい感じはしましたけど。昔の『アストロモモンガ』とか『デビッド100コラム』とか、こんな感じだった気がする。どこまで本気なのかわからない――というより、本気でふざけてる感じ。

橋本さんの本来の意図はわからないけど、「生きるべきか死ぬべきか」と何やら高尚に苦悩してるように見えて、ハムレットの世界って実はバカバカしくない?って言われてるような。

本朝だったら「仇討ち物語」になるところ、ハムレットが自分の運命を恨み嘆くのが眼目だ、って若月某さんもおっしゃっています。
若き日なら美しい青春の葛藤にも見えるだろうけど、それをジーさんでやるとほら、こんなにくだらないよ? ただのボケ老人の妄想だよ、と。


最後の最後に「あとがき」代わりの「楽屋噺」がついていて、その中で橋本さん、こんなふうにおっしゃっています。

別にぶっ飛んじゃいません。(中略)世間様がね、私のことをどうお考えかは存じませんがね、あたしはね、時々へんなことをしでかす真面目な人ってェのとは違うんだ。私ァね、そもそもふざけた人間で、時たま真面目にもなるっていうだけの人間だから、間違わない方がいい。 (P206)

『草薙の剣』で野間文芸賞を受賞なさって、その次に刊行される小説がこれっていうの、なんか、とっても橋本さんらしい。

次回作が「異邦人」であることを言うのに

次はね、あれだよ、ふり向いてみただけのォ♫だよ。 (P208)

と歌ってみせるところも。

落語版『異邦人』、前編が「文藝」2018年秋号(7月刊)に掲載されているんですが、後編の原稿はどこまで進んでいたのでしょう。

河出さんの追悼ツイートでさらにその後の予定も見ることができます。
「人形の長屋」「若きウェルテルの悩み」「ボヴァリー夫人」「女の一生」「人情噺 罪と罰」「怪談 嵐が丘」…。

「人形の長屋」というのはイプセンの「人形の家」を「長屋」でやるってことなんでしょうね。おノラが最後には長屋を飛び出していくのかな。長屋だからお隣とか大家とか色々口を出してくる人がいっぱいいそう。借金の証文をカタに脅されて……とか、めっちゃ時代劇に合いそうですよね。もっとも江戸の長屋なら、出て行くのは気弱な亭主の方、ってこともあるかも。「ハムレット」が老いぼれた後日譚に変わるなら、「人形の家」が男女逆転した噺になってもいい。

読んでみたかったなぁ。(ちなみに「人形の家」自体は読んだことないです、はい)

まァ、あたしももう年なんでね、落語世界文学全集なんて言ったって、いつまで続くか分かりゃしませんよ。死んだらおしまい。予定は未定ってことでね。 (P208)

亡くなられてから読むと、なんともたまりませんね。こんなに早く「おしまい」になってしまうとは……。
嗚呼。