息子の友達のお姉ちゃんが新6年生で、そこのお母さんから色々と「今ドキの女の子」について話を聞く。
今ドキの女の子はとてもお洒落なので、お母さんがスーパーの特売で買ってきた服は本人が嫌がるのはもちろん、友達からも「それ○○(スーパーの名前)で買ったんやろ」とバカにされたりするらしい。

学校は別に服を見せびらかしに行くところではないので、動きやすくて洗いやすくて「そこそこのデザイン」のものでいいじゃないか、とそこのお母さんも私も思うが、まぁ今ドキは「小学○年生」とか少女マンガ雑誌の付録が化粧品モドキだったりもするようなので、しょうがないと言えばしょうがないのか。

私が小学生の時は、靴だってまだキャラクター物のゴムズックだったような気がするのに。
やっと高学年になって、男の子達が「アディダス」とか「プーマ」とかスポーツブランドのスニーカーを履き始めたんじゃなかったなぁ。もちろん昔からお洒落な女の子はいたはずだが、今みたいな「コギャル(←こんな言い方ももう古いか)」な服はそもそも売ってなかったと思うし。

「交換日記」とか、「誕生日プレゼント」とか、高学年の女の子は色々と友達付き合いが大変らしい。
AちゃんとBちゃんが仲の良いことを妬んだCちゃんがBちゃんに嫌がらせをする、みたいなこともあるらしい。
これは、かなり怖い話だった。
話だけ聞くとほとんど三角関係のもつれというか、ストーカーじみている。

小学生だろ? しかも男絡みじゃなくて、女の子だけだろ?と思うが、女の子だけだからよけい怖いんだろうか……。

そーゆーことがあったので、この間図書館で久しぶりに『おそい・はやい・ひくい・たかい』を借りてみた。特集はずばり「女の子社会のサバイバル術」
メールのやりとりを自分からやめられない(←翌日「なんで返事しないの!」と怒られるから)ので夜中の二時三時まで相手をしている、なんて話を聞くと、ホントにご苦労なことだと思う。

そんなもんは“友達”じゃない、と周りが言うのは簡単だけど、その世界で過ごすしかない本人達は必死なんだろう。
ホントに、なんてご苦労な……。

本の中で一番面白かったのは「女の子社会はどうしてきびしいのか?」というところ。
「女の子は内実のない、キャンディみたいなお飾りにすぎない(←という社会である、という意味)んだから、他人に褒めてもらわなかったら意味がない。だからちょっとすぐれている子や浮いている子がいると足を引っぱりたくなる」
うーん、そうなのかぁ。
でもそれってやっぱり、“大人”の側が煽ってるんだよね。
小学生向けの雑誌がファッションや化粧の話を載せて、そーゆー服を売って、“女の子”をマーケットにしてるんだもん。

資生堂のCMのエビちゃんの設定について、本に紹介が出ていたんだけど、呆れたもんね、無茶すぎて。ホントにそんな奴いたら超むかつくやろ!?っていう設定だった。

DOCOMOのデコメールのCMも見るたびうんざりする。別にDOCOMOに限ったことじゃないんだろうけど、「こーゆーメールが可愛いのよ!こーゆーのを送らないとお友達に認めてもらえないわよ!!」って煽ってる気がする。

橋本治さんの『このストレスな社会!』の中でも、佐世保の女の子による同級生殺人事件に触れて、「女の子達はさっさと“大人もどき”になっていく。子どもから大人への移行期間はもっとゆったりあってしかるべきで、それをなくしてしまったのはとても危険だ」と書かれている。
「女の子は“子ども”から隔離されると、あっという間に“大人”になって、“人間関係の中で孤立させられた中年女”になってしまう」

だから小学生でも「ストーカーまがいの友情のもつれ」が起こるのか……?
(長くなったので明日に続く、かもしれない)