珍しく書店で見つけて衝動買いした2冊のうちの1冊。

最近はネットで決めうちでしか買わなくなりましたからねぇ。

表紙のイラスト、そして帯の「会社・学校の風通しが悪いなら…解決の方法はただ1つ 世界征服をすること」という文にまず惹かれ、中をめくると

「よい子のみんなへ
この本では、クラスを制圧するために役立つ知識や、下々の者どもの心理などを分かりやすく解説しているよ」


などと書いてある。

しかもマキャベリの「君主論」を説明するために繰り広げられるストーリーは小学校5年3組の覇権争い!

これは是非息子ちゃんに読ませなければ(笑)。

登場人物紹介のイラストには「カリスマ:B+ 用兵:S 知力:A+」など、子どもの好きなカードゲーム風な能力値が書いてあるし、とっつきやすそう。もっとも「よい子のみんなへ」以外のところにはふりがながついてなく、なのに「飯盒炊爨」なんて漢字がどーんと出てきたりして、日頃から読書に親しんでいる子どもでないとなかなか読み進めないとは思いますが。

いや、面白かったです。

息子ちゃんも、あっという間に読了しました。

一つ一つのエピソードは短くて、5年3組の「事件」の紹介のあと、「ふくろう先生」が「マキャベリもこう言っているよ」と本家『君主論』の解説をちょこっと付け加えてくれる。そしてふくろう先生の講義を聞くのが同じく小学生の「たろうくん」に「はなこちゃん」。

この「はなこちゃん」のキャラがめちゃくちゃダークネスで笑える。

最初のうち、5年3組のストーリーがぶちぶち中断されるのが少々うっとうしかったんだけど、だんだんとこの「はなこちゃん」のダークネスな発言がクセになってくる。

曰く、

「分かりました、ふくろう先生。私は他人に分け与えてやるものなど何一つないと思っていたけど、自分の懐が痛まない時に限り気前よく振る舞うようにしたいと思います」

「分かりました、ふくろう先生。今度からは自分の力だけで相手を踏みにじるよう努力します」


んでふくろう先生、「その意気だよ、はなこちゃん」って(笑)。

5年3組のストーリーも面白いしね。いわゆる「仲良しグループ」のリーダー達=「小君主」が繰り広げる骨肉の権力争い。遠足やドッジボール大会、夏休みの宿題や運動会、キャンプに雪合戦というイベントを様々な権謀術数で乗り切り、最後にクラスを統一するのは誰か!?

小学生だけに「駄菓子屋の妙計」とか「プリン作戦」とか、ネタ自体の「ちまちまさ」と策略の高度さのギャップがまた。

かつて一度でも小学生だったことがある人間には「終わりの会」の描写がたまらないし。

終わりの会とは、小学校のクラスにおける最高裁判機関のことで、裁判官は日替わり制であり、日直と呼ばれる担当の子どもがその職に就きます。

日直の「では次に、悪かったことはありませんか」の問いから、子供たちのどろどろとした、怨嗟渦巻く恐怖裁判が開始されるのです。このときに行われる申し立てのほとんどは「~~くんが今日私のことを睨んできました。謝ってください」など、とんでもない言い掛かりのようなものです。

終わりの会では真実など何の力もないのです。


いやぁ、ほんまにねぇ。

今となっては笑い話だけど、現在小学生真っ只中な子供達にとっては笑いごっちゃないよね。

おもしろおかしく書いてあるように見えて、「子どもの世界は大人が思っている以上に大変なんだ」という真実がしっかり書かれている。

大人になると忘れちゃうんだけどね。

学校の「クラス」も担任も、自分の意志では選べない。メンバーも、自分では選べない。勝手に「ひとまとまり」にされた中で、1年間過ごしていかなくちゃならない。

決して「仲良くしたい子」ばかりじゃない中、うまくやっていくためにはほんと、「政治力」が必要だよね。

「みんな仲良く」とか「みんな仲間」とかいうスローガンをいくら言っても、現実に「ヤな奴」「相性の悪い奴」はいるわけだし。

この本の5年3組は結局「ひろしくん」というすぐれたリーダーのもとに統一されて、そのまま6年生も持ち上がりで、クラスのメンバーは小学校最後の一年間を非常に安定した、楽しい雰囲気の中で過ごすことができた。

統一までには「権謀術数」があり、その後の「安定統治」にも、決して単純な正義ではない「政治的判断」が行われているんだろうけども、それあればこそクラスはまとまり、いじめもなく、みんなが安心して楽しい学校生活を送ることができた。

「ひろしくん」みたいな子がいたら、先生は楽だよなぁ。学級崩壊や対教師暴力に怯える必要がない。

まぁ、そうそういないだろうけど。

自分が好き勝手に振る舞うために他の子供達の上に暴力的に君臨しようとする子はいると思うけど、「天下を取る」ために時には自分のやりたいことも我慢して、クラスメートが自ら進んで配下に下るよう仕向ける、なんて子は。

そのようなリーダーを志向する子どもがいるだろうか?

そもそも「リーダーとはそのようなものである」と見本を見せる大人がいないわけだし……。

「リーダーを育てよう」などという気も、現在の日本の教育カリキュラムにはないしな。

「エリート教育」というのは知識的に優れた子どもを育てるだけじゃなくて、「帝王学」みたいなもの、「ノーブレス・オブリージュ」を自覚し、備えた子どもを育てることで、運動会の徒競走にさえ「順位をつけるのはやめましょう」になっている今の学校では、望むべくもない。

まぁ、少なくとも公教育では。

難関有名私立中学とか行くと、「あなた方は将来の日本を背負って立つ人間なのですから」という「帝王学」を教えているのかもしれないけど、そんなとこ通ったことがないからわかんない。

政治家の世襲問題、よく言われるけど、一般の家庭で「政治家になりたい」とか「国を背負って立ちたい」と思う子どもが育つか、っていう問題があるもんね。

政治家の家系に生まれるということは、そのようなある種の「エリート意識」「上に立つ者としての自覚や振る舞い方」を身近に見て育つということだから。

「心のノート」配るより、「君主論」配った方が学級崩壊は減るのではないかしらん。


マキャベリさんの本家『君主論』、学生の時に一度読んだことがあるんだけど、また読みたくなったわ。