エッセイというか、コラムというか、昨日2月16日の毎日新聞朝刊(他地域では夕刊かもしれない。うち、夕刊来ないから…)に載っていた記事。

国立民族学博物館の教授でいらっしゃる小長谷有紀さんが「朝青龍引退に寄せて」と書いていらした。

残念ながら毎日jpに載っていなくて、全文ご紹介できないのがホントーに残念。すごくうなずける内容だった。

「横綱がモンゴル人だけなのは日本人力士が不甲斐ないからだとは、私は思わない。そもそも力士になりたい日本人が少ないからだろう。(中略)メタボ症候群に臆することなく精進し、自らの肉体を異形にまで改変しなければならないからである。さらに私たちなら知ってしまっている。強くなるまでには可愛がりとかつて称されていたような、理不尽な殴打があるかもしれない。たとえ強くなっても安易に喜びを体現してはいけない。親方になった後も自由意志で投票すれば仲間はずれにされる。そんな「伝統」があるとはつゆ知らず、純粋に格闘技だと誤解して学びに来る人々がいなければ、次世代再生産はこれまで十分に果たせなかったのである。」

ああ、なんという卓見でしょうか。

どうして小長谷さんは横審委員ではないのでしょう(笑)。

それはもちろん横審というものが、相撲協会寄りの、頭の古い人々しか入れないようになっているところだからと思いますが。

今回の朝青龍引退にまつわるメディアの騒ぎの中で、やっと「まっとうな論」を聞いたなぁ、という気がする。

聞いてるか、やくみつる!(爆)

「他の業界との違いがあるとすれば、不在によって質が下がり、経済効果が減るばかりでなく、「伝統」が継承できなくなる、という日本にとって致命的に重要な部門だという点であろう。それほど重要なセクターを支えてきた個人に対して、私たちは一言感謝してもよかったのではあるまいか。ダグワドルジさん、ありがとう。実際には、感謝の言葉を告げる間もなく、いかにも日本らしい処方箋を世界中に発信してしまった。」

ダグワドルジさん、ありがとう。

本当に、そうだよ。

ドルジがいなかったら、横綱なしの土俵が続いてたんだよ。

ドルジがいなかったら、誰か他のたいしたことない力士が横綱になってたかもしれないけど、そしたら確実に、「横綱のレベル」は下がっていた。

一人横綱として何年も土俵を支えてくれたドルジに、ありがとうも言わないで、よってたかって追い出したんだ。

うっうっ、また泣けてくるわ。

「もちろん、入幕当初からさまざまな言動が問題視されてきたことは事実である。そしてそのたびに私たちは何がいけないとされているのか、という内なるコード、隠れた掟を知った。(中略)出身地を問わず、全力士にとって反面教師であり、防波堤でもあったろう。そんな彼は去って彼自身の問題は解消する。しかし、私たち自身の問題はちっとも解決されていないのではないだろうか。」


まったくだよねぇ。

「国技」「国技」と偉そうにして、その中の「伝統」には「他派閥に投票したらクビだぞ!」という無言の圧力なんかも含まれている。

守るべき伝統と、守る必要のない、「隠れた掟」。

小長谷さんの記事は、最初と最後が「ホスト社会」の話になっていて、「ありがとうと言えない日本 ホスト社会としての未成熟示す」という見出しがついている。

今後ますます留学生や、アジアからの介護・看護従事者等、外国籍の人々を受け容れていかなければならない中、日本社会はこの「島国根性」をどうするのか。日本のシステム維持のために日本にやってきてくれる異郷の人々に、どんなふうに接していくのか。

 

小長谷さんが過去に新聞等に書かれた記事が、民博のサイトで見られるようになっている。(小長谷有紀さんの掲示板

その中に、2007年に朝日新聞に掲載された「両横綱への視線に温度差」という記事があって、これも面白い。

日本人の「視線」ではなくて、モンゴルの人達の、「両横綱への視線の違い」。

白鵬が横綱になる前に日本人女性と結婚したことに、モンゴルの人達は「彼はモンゴル人であることを捨てた」という印象を持ったらしい。

一方の朝青龍は謹慎中でもモンゴルに帰り、サッカーをしてくれる。

「朝青龍があくまでもモンゴル人として出稼ぎをしているのに対して、白鵬は国籍のいかんにかかわらず、移住して日本人らしくなる」

日本人から見れば白鵬は「伝統」を守り、「日本人らしく」振る舞ってくれる「優等生」だけれども、モンゴルの人達にしてみれば、「あいつはもうモンゴル人じゃない」という寂しさにつながる。

「相撲は日本の国技だとわたしたちが主張するのなら、そもそも古来、各地からの勇者を丸腰で戦わせることによって平和を象徴する舞台として演出されてきた、という伝統にのっとり、外国人のままで世界中から参加してもらえることを大いに愛でるべきではなかったか」

聞いてるか、やくみつる!(笑)

たとえばアメリカの「国技」と言ってもいいメジャーリーグ(野球とアメフトとバスケではどれが国技だろう?)で活躍するイチロー選手。

ペア王国と言われるロシアの代表として、ロシア国籍を取ってオリンピックの舞台に立った川口選手。

「朝青龍は素行が悪すぎる」と言いたい人がいるのはわかるけれども、イチローを応援してくれるアメリカの人々、「ロシア代表として滑ってくれてありがとう」「(メダルは取れなかったけど)まだ愛してるよ」と言ってくれるロシアの人々を見てると、日本人は朝青龍を使い捨てにしたと思えてならない。

ダグワドルジさん、ありがとう――。