内田センセの『他者と死者』を読み始めた。『犬の力』の下巻は全然進んでないが、『他者と死者』は図書館で借りたものだから、優先である。もちろん、内容的にも優先だし。
「まえがき」のところに「時間」というファクターの重要性について書かれていて、これは内田センセの他の著作やblogでも常々言及されていることなのだけど、そこを読んでいた私の頭はこの3日間の諸々を「時間」というキーワードでとりとめなく考え出してしまったのである。
3連休の間、私は実家にいた。
実家では今父が入院していて、脳梗塞で片麻痺になった父の退院後の生活を慮って、「エレベーターなしの3階」から別のアパートの「1階の部屋」へ引っ越した直後である。
引っ越しは18日だった。
私が行ったのは20日で、本当に「引っ越し直後」であったが、思ったよりずっと片付いていた。
「私が泊まれるスペースを確保する」ために、弟(独身・色々あって現在無職で実家にいる)が取り急ぎいくつかの段ボールの中身を片付けてくれたからである。
母親は、毎日顔を見せないとパニックになる父のため、片道40分ほどかけて病院へ通わなきゃならないので、なかなか片付けなどできない。荷物を段ボールに詰めるのもほとんど弟がやって、段ボールから出すのも弟が主体になる。
私が行ったときには、衣類はほぼ全部、食器も本も、すっかりそれぞれの家具に収まっていた。
「なーんだ、けっこう片付いてるじゃん」なのだがしかし。
弟の入れ方が、母には気に入らない。
食器棚の食器の配置が、前と違う。
本棚の本の入れ方も、もちろん前と違う。「取り急ぎ段ボールを片付ける」という目的でもあり、弟は本に興味がないこともあり、上下逆さまのまま入ってるものがあったり、シリーズ物がちゃんと並んでなかったり。
せっかく弟ががんばって入れてくれたものを、「気に入らない」と夜の11時とか朝の6時とかに入れ直し始める母。
まぁ、気持ちはわかるんだが。
食器はともかく本は、私もきっと他人に整理されたらまた結局自分でやり直すだろうとは思うのだが。
何も「今」、病院通いで忙しい「今すぐに」やらなくてもいいのになぁ。
「どうせ色々考えて眠れないから」って、11時とか6時とかにやらなくても……。
もともと「掃除」や「片付け」に関してはうるさい人なのである。
きっと、こーゆー人が母親だったので、私は反動で「掃除」や「片付け」がどーでもいい人になってしまったのだと思う(笑)。
そして、かなり「キーっ!」となりやすい人なのだな、母は。
早く家を片付けたいのに父が「毎日来てくれないとイヤ」とか我がままを言うので、片付けの時間が取れなくて「キーっ!」となっている。
父の病状や、退院できても今後の生活への不安なんかも重くのしかかっているから、ストレスでよけい「キーっ!」となる。
そんなにあれこれいっぺんに「やらなきゃ!」と考えなくてもいいし、とりあえず食器の配置だの本の配置だのなんてことは後回しで妥協すればいいと思うのだが、そーゆー感じで私がのほほんとしていると、「ホントにあんたはのんびりしてんねんから!誰に似たんやろ!」と怒られるのである。
……そんな二人して「キーっ!」となってたってしょーがないじゃないの。
それに、母が病院に行ってる間、私がせっせと片付けたとしても、きっと母はまた後から自分の気に入るように片付け直すに決まっている。
ずっと一緒に住んでいたのならまだしも、嫁に行って10年以上、盆と正月とGWぐらいしか実家に泊まらない人間に、「それまでの食器の配置」なんてわからないもんな。
別に、私は「のんびりしている」わけじゃなくて、「物」が片付いてなくても平気なだけなのだ。
優先順位が低いだけ。
「本」だけはちゃんと片付けるし、「情報」とか「思考」とかは整理したい。
だから、日記やblogやTwitterに「思考」を吐き出せないと、イライラする。この3日間、日記はちゃんと書いたけどPCに触れなくてストレスが溜まった(笑)。
昔から私は母にとっては「気の利かない役立たずの娘」だったのだが、それはあまりにもあなたと生活の優先順位が違うだけなのですよ(笑)。
もちろんそんなこと面と向かって言う気はない。
実生活上「役立たずの穀潰し」なのはちゃんと自覚しているし、何より「今言うこと」じゃないから。
…というような話と、『他者と死者』の「まえがき」がどのように繋がるのか自分でもきっちりと説明することはできないのだけれど。
「問題を先送りにする」「時が解決する」というようなのを肯定する内田センセのお話を読んでて、なんか母の「あれもこれも早くやってしまわなきゃ!」という気性を思ったのだな。
片付け以外にもやりたいことがいっぱいあるのに、父の看病・介護に時間を取られて「何もできない」とストレスを溜める母。
息子が小さい時に、私も同じような想いでいたなぁ。
育児以上に介護というのは「いつ終わるか先が見えない」から、よけいにしんどい。子どもはやがて「できなかったことができるようになる」けど、病人や高齢者は大抵の場合、「できたことがどんどんできなくなっていく」だし。
時が経って解決することもあれば、時を経るに従い悪化することもある。
「今日できることは今日やれ。明日のことも今日やれ」というような考えが有効なこともあれば、「明日できることは明日でええやん」とのんびり構えていた方が幸せなこともある。
……「明日も明後日もできそうにないからイライラしてんじゃないのよ!」と母に言われそうだな……。
日記・その他
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