はい、ついつい引き続き2冊目を読み返してしまいました。

1冊目に比べるとだいぶ薄いので、さっさと読めてしまいました。

1冊目がおよそ2年半分の連載+別コラム「基地とようかん」を収録していたのに比べ、2冊目は1999年10月から2001年1月までと、およそ1年間分だけ。

単純に考えれば1冊目の半分以下の時間で読めるわけです。

2001年1月号に掲載された分というのは2000年12月に書いた分、ということで、つまりは「20世紀の終わり」のところで一区切りつけたということですね。

20世紀が1999年で終わるのか2000年で終わるのか、ノストラダムスの予言にびくびくした世代としては1999年を乗り越えればもうそれで21世紀という気もするし、日本以外でも「2000年から21世紀でいいんじゃないの?」という話があったみたいですが、この巻の最後の回のタイトルは「そして二十世紀は終わった」になっています。

「二十世紀が終わって、色々と日本は変わらざるを得なくて、でもそんな崩れ行く社会のあれこれに対してあれこれ言っても仕方ないから、次回からは時評はやめる。違う切り口でやっていく」

ということが一番最後に宣言されて、だから、編集さんも1冊目と同じ分量の原稿が溜まるまで待たず、ここで2冊目を区切ってしまったのでしょう。

まぁ、そうは言ってもこの後の「ああでもなくこうでもなく」も結局「時評」の側面が強かったと思うのですけどね。9.11とか起こっちゃうから。

で、1999年の9月です。

1999年9月30日に、東海村のウラン加工施設で臨界事故が起こっています。国内初の臨界事故でした。Wikipediaさんにも詳しい経緯が載っていますが、これ、正規のマニュアルを無視してバケツでウランを混ぜていた、というのが原因だったのですよね。

バケツの中で臨界を発生させちゃうのは「手抜き」じゃなくて、「無知」でしょう。 (P24)

と橋本さんはおっしゃって、「一体放射性物質を扱う原発作業員に資格とかは要らないの?」と疑問を呈されます。で、実は「核燃料取扱主任者」という資格があるらしいのですが、

ということは、「資格試験を通っても平気で無知である」というとんでもない実態が浮かび上がってしまいますわね。 (P25)

ちょっとググってみたところ、「第一種放射線取扱主任者が楽勝と言っていた原子力の専門家ですら、『炉主任(原子炉主任技術者)と核燃は最高に難しい』と認めています。」という超難関試験らしいです(Yahoo!知恵袋)。

ということはたぶん、東海村で実際にバケツでウランを掻き回してしまった作業員の方は、たぶんその資格は持ってないんじゃ……。

原子力の専門家ですら難しいような資格、末端の現場作業員が持っているとは思えませんよね。

日本には54基も原発があるけど、「原子炉主任技術者」とか「核燃料取扱主任者」とかいう資格を持ってる人は一体どれだけいるんだろう……。

たぶん施設に一人か二人資格を持っている人がいれば良くて、その人が「監督をする」ってことになってるんだと思うけど、裏マニュアルで作業してたっていうことはまったく監督が行き届いていなかったということで、現場の作業員さん達にも「自分達がどれほど危険なものを扱っているか」という緊張感がなかった、あるいは「このやり方で大丈夫だから」と上から言われていた、ということでしょう。

日本人の多くは、あの東海村の事故が起こっても、まだ「原発は必要」という容認をしているらしいけど、それもまた「無知」ですね。議論は、「原発は安全かどうか」じゃなくて、「たとえ安全であったとしても、今の日本人に、それを操作する能力があるのかどうか」に傾くべきで、私には、「今の日本人にその能力はない」としか思えませんね。だって、「放射能事故」のくせに、防護服が一つも出て来なかった。そんな国があるんだろうか? (P27)

「日本人の多くは、あの福島第一原発の事故が起こっても」と、言い替えたくなりますよね。

なんか、ホントに、ごめんなさい……。

のっけから原発の話でこの2冊目も「なんでこんなに“今”なんだろう」と思ってしまうわけですが。

1999年から2000年頃の日本の首相は小渕さんでした。首相時代より「天平らかに地成る」と「平成」という元号を紹介していた官房長官時の映像が印象に強い小渕さん。1998年の夏に首相になって、2000年の4月に入院、翌5月に亡くなってしまわれます。

で、次の首相というか自民党総裁が森喜朗氏に決まって、2000年5月号に橋本さんは「総理大臣の決め方」という文章を書きます。

まぁ、簡単に言ってしまえば、「日本の総理大臣は密室で決まることになってる。そもそもの最初から」というお話です。

日本の最初の総理大臣はご存知伊藤博文ですが、伊藤博文が総理大臣になった明治18年、まだ日本に「議会」はありません。初の帝国議会が開かれるのは明治23年だそうです。

帝国憲法下の「総理大臣」というのは、主権者である天皇にだけ責任を持つもので、議会(つまりは国民)とは何の関係もないものだったのですね。だから、議会とは無関係に総理大臣が存在する。

帝国議会が開かれるようになっても、議会は総理大臣や内閣を選ぶことができず、

議会の選択肢は、形式上「天皇のもの」である内閣と対立して喧嘩をするか、ただおとなしく言うことを聞くかの、どっちかしかない。 (P124)

だったそうです。

それは、ずーっと、日本が戦争に負けるまでそうだった。

議会が選ばないなら誰が総理大臣を選んでいたのか。それは「元勲」と呼ばれる9人の「明治維新功労者達」。薩長の人間8人と、公家1人です。

この9人の元勲が総理大臣を決めて天皇に推薦していた。で、まぁ、基本天皇はその推薦に「Yes」と言うだけだった。

日本の天皇というものは、そのずっと以前から、「我々が補佐する――そして政治を私物化する」という目的のためだけに存在させられて来たものでもある。 (P119)

藤原摂関家の昔から、というヤツです。

そして「元勲」というのは、面子が変わらないのです。世襲でさえなく、メンバーが死んで減っていくだけ。誰か死んだら然るべき人が新たに「元勲」に加わる、という仕組みではなかったのですよ。

驚くべきことに、「元勲が天皇に総理大臣を推薦する」という制度を作ってしまった人間達は、自分達が死んだ後のことをまったく考えていなかった! (P126)

マジか……。

元勲最後の一人、西園寺公望は1940年に亡くなって、日本には「総理大臣を決める人」がいなくなる。1940年といえばもう太平洋戦争が始まっているのですけど、その時日本に明文化された「総理大臣の決め方」はなかったのです。

戦争遂行中の時でさえ、日本には明確な「総理大臣の決め方」がなかった。「非常時だからそれでいい」だったのなら、今になって、「日本の危機管理はなってない」なんてことを政治家連中に言ってもむだだということにはなるだろう。 (P127)

いや、もう、なんか、ここまで来ると天晴れだよね、日本……。

議会政治そのものが登場する以前、既に日本には「与党と野党の対立」があった、「どちらが政権の側にいるか」だけが問題になって、政策というのはほとんど関係ない。 (P122)

何のことはない、日本って昔から全然変わってないんだな、何も今になって政治がおかしくなってるとかじゃないんだな、という。

『双調平家物語』で中大兄皇子が「国はないのか」と嘆いていたけれど、「国家としての政治」というのはもしかして全然今に至るまでないのかもしれません。

他にも色々、心に刺さる文章がいっぱいあるのですが、引用しているときりがありません。

なので、あと二つだけ。

北朝鮮の核実験実施ニュースの時に、ちょうど「金大中と金正日が会談」という話題のところを読んでいて。「もしかしたら2000年の末には板門店が消滅するかもしれないよ」って、橋本さんは言うわけですよ。

残念ながらそんなことにはならないまま2013年に至っているけれども。

おそらく「世界一孤独な独裁者」であった金正日が「俺、もうやめる」と言ってしまえば、それで板門店は消滅したはずだった。別にそれで、金正日は損しない。

政権を投げ出した金正日は、ほめられるだけで、表向きどこからもけなされない。「ノーベル平和賞受賞者の“元王様”」になれる。社交界のスターだ。 (P180)

クーデターで倒されたり、多国籍軍に攻め入られたりした挙げ句に退陣、ということになるとその余生はあまりいいものになりそうにないけれど(さっさと殺されたり、一生牢獄かもしれない)、自分から「もう首領様やってるのやめます。北の人民も南で面倒見てください」と政権を投げ出したのだったら、けなされるどころか「ノーベル平和賞」ものであろうと。

実際その年(2000年)に金大中大統領の方はノーベル平和賞をもらっている。

「南北首脳会談が評価されたんだったら、なんで俺はもらえないの?俺が会ってやったんだぜ」って、もしかして金正日は思ってたりしなかったのかな。

日本人拉致被害者5人が帰国するのは2002年だけど、金正日としてはきっと「今度こそ褒めてもらえる!」だったんじゃ……。

いや、まぁ、わかんないけど、でも今度の核実験にしても、「なんで俺のことわかってくれないんだよ!」って言ってどんどん悪さをエスカレートさせる子どもみたいな感じがなんかこう……。

北朝鮮の首領様なんて、やってても面白いと思えないからなぁ。

首領様が「やーめた!」って言って困るのは首領様の周りの権力者達で、南北が統一して「資本主義国家」になってしまうと中国もあまり嬉しくない。

「日本は加害者だ」――これを言うことによって、「東アジアで最も成功している国=日本」を、中国は拒絶することが出来る。台湾だって「旧日本帝国被害者チーム」の一員なのである。日本を拒絶すれば、中国は東アジアで最も正しく、最も大きな国になれる。「東アジアのリーダー」というポジションを確保するために、北朝鮮の存在はとても大きかった。北朝鮮は、最も強烈なる「旧日本帝国被害者チーム」の一員だったからだ。 (P183)

……この理屈で行くと、もしも日本が本気で色々謝って、領土問題で譲歩したとしても、やっぱり中国は日本を「加害者!」と言うことをやめないんだろうなぁ。うーん。

もしも金正日が2000年に「俺、ノーベル平和賞もらってスイスの別荘で悠々自適するわ」って言って政権投げ出してくれてたら、今、アジアはどういう情勢になってたんだろう。

金正恩氏にも「制裁!」ばっかりじゃなくて、「ねぇ君、そんな孤独な場所にいないでこっちに出て来たら。今ならノーベル平和賞と身の安全がついてくるよ」とか言ってみるといいんじゃないのかな。

でも二代目と三代目ではだいぶ抑圧が違うか。

「偉大なる建国の父」という抑圧に苛まれていたであろう息子に比べ、孫はもっとあっけらかんと「独裁者」を楽しんでいるのかも。

それだと「ノーベル平和賞と社交界でのスター扱い」はたいしたエサにならないのかもなぁ。

「売り家と唐様で書く三代目」などという言葉もあるけれど……。



昨年、平成24年は、ちょうど平成が20世紀と同じだけ21世紀を生きた年だった。20世紀の12年。21世紀の12年。今年から、21世紀の方が長くなる。

だから何ということもないけど、昭和が終わって20世紀が終わるまでの時間と同じだけ、もう21世紀も過ぎたんだな、と。

その間に、いくつも分岐点があって、「曲がり角」があって、「こうじゃない2013年」があったかもしれない可能性を、考えさせられる。そんなこと当たり前かもしれないけど、でも『ああでもなくこうでもなく』読んでると、「問題」がちっとも変わっていなくて、「この時点でもう少しなんとかしていれば」と思ってしまう。

もちろん「簡単な解決法」なんてものはなくて、少しずつやっていくしかないんだろうし、変わったことがないはずはないんだろうけれど。


さ、これで引用ホントに最後(笑)。

第2巻の最終回、「そして二十世紀は終わった」から。

日本のファシズムの特徴は、「明白なる独裁者が存在しないこと」である。ということはつまり、「日本では独裁者抜きでもファシズムが成立しうる」ということである。(中略)日本人はその以前から、「支配的な一つの価値体系への信仰」を持ち合わせていたのだということである。それが日本的なファシズムなのだろう。そこに「統合のシンボル」がありさえすれば、日本人はたやすく、「独裁者抜きのファシズム」を実現させてしまえるらしい。 (P272)