2013年10月14日月曜日

『言語学の教室~哲学者と学ぶ認知言語学~』/西村義樹・野矢茂樹



面白かったです。

認知言語学者の西村先生に哲学者である野矢さんが講義を受けるという対談形式。

なので非常に読みやすい。野矢先生が「え?それってこういうことじゃないの?」「え、でもそれは…」と入れてくれるツッコミが非常に鋭く、かつ読者目線というか、もちろん哲学者ならではの鋭い目のつけどころなのだけど、「言語学」をあまり知らない人でも野矢さんの言う感覚はわかるのではないかなぁ。

だから、とてもとっつきやすいと思います。

「思う」というのは、一応私は社会言語学専攻の学生だったので、ソシュールだのチョムスキーだの生成文法だのという名前を知ってはいるのです。なので「言語学をまったく知らない人」の気持ちを代弁することはできない。

とは言え、この本読んで「あー、生成文法ってそういうことなの」と初めて腑に落ちた気がした程度の「言語学専攻」なのですが(笑)。

苦手というか、よくわからなかったんですよねぇ……チョムスキー。社会言語学は方言だったり、敬語だったり、実際にその言葉を使ってる人たちのサンプルを集めて……という感じだったので、「普遍的な言語の理論・法則」に関する研究っていうのはさささっと通り過ぎたというか。

チョムスキーとか日本語の例文じゃないし。

どこの国の人でも「言葉」を話す以上、人類共通の「言語操作」に関する法則というのは確かにあるのかもしれないけど、日本語の中にさえ「方言」という違いがあったり、性差・年齢による「使用差」があり、時代によっても変遷している。

まぁ、方言だからって文法そのものがまったく違うということはおそらくないので、「文の構造」「組み立て方」というところは理論化できる……はず……なのかなぁ。

で、さて。

私が学生だった頃、「認知言語学」という言葉は聞いたことがなかった気がするのですが。

【第1回:認知言語学の誕生】のところに、「認知言語学」が世に出たのは1987年と書いてある。私が「社会言語学専攻の学生」になるほんの数年前です。できたてほやほや、習っていなくてもしょうがないかな?

でもラネカーの名前は聞いたことがある気がするので、習ったけど忘れてるのかもしれない(汗)。

言語の問題を言語だけに狭く閉じ込めないで、事柄に対するわれわれの見方や態度と結びつけて考えていこうというのが、認知言語学の特徴なんですね。 (P7)

それ以前の、特に「生成文法」派というのは「普遍文法」というものを目指していて……えーっと、「われわれの見方や考え方」などという個々人によって違うかもしれないような因子をなるべく排して、科学的に実証可能な「法則」を見出そうとしていた。

そのアンチとして出て来たのが「認知言語学」(と言うと語弊があるかもしれないしたぶん生成文法の理解も間違っているので詳しくは本書をお読み下さいね)。

(認知言語学では)言語の能力は他の心の働きと分かちがたく結びついていて、言語知識がどういうものかを明らかにしようと思ったならば、ふつう私たちが言語的ではないと想定している心の働きまで考慮に入れなければならないと考えた (P21)

で、例に出されるのが「彼女に泣かれた」というような、いわゆる「迷惑受身」の構文。

「雨に降られた」は自然な日本語なのに、「財布に落ちられた」が不自然なのはなぜか (P27)

とか。

組み合わせ(文法)としては間違ってないけれども、実際には使用されないのはなぜか。「文法(統語論)」だけでは説明がつかないでしょう、と。

で、第2回(講義形式なので「第1章」ではなく「第1回」「第2回」という体裁になってる)【文法は意味と切り離せるか】というお話に。

受動文と能動文は事象としては同じことを表しているけれども、「同じ意味」と言っていいのかどうか。

「太郎が花子に殴られた」という受動文と、「花子が太郎を殴った」という能動文は、同じ事態を述べているけれども、わざわざ違う言い方をする以上、そこには何らかの“違い”があるはずではないのか。

まぁ、普通に考えて、前者は太郎に注目、後者は花子に注目してる、という気がしますよね。それを言った話者が、どちらに焦点を当てているか。

言葉は客観的な事実を表すだけではない、その事実に対する見方・捉え方も表しているのだ。この考え方が、まさに認知言語学のよって立つ認知主義の意味論というわけですね。 (P54)

と言われるとなんか「そんなの当たり前じゃないの!?」って思ってしまうんですが。

誰がどんな文脈で言ったか、ということを切り離して「言葉の意味」なんか考えても、と。そういう「事実に対する話者の捉え方」を扱う言語学は今までなかったの!?と逆にびっくりしてしまいます。

そんな「話者の主観」を問題にし始めたら収拾がつかなくなってしまう。もっと「科学的に」言語を扱いたいのだ、というのはまぁ、わかるけど。

第3回は【プロトタイプと百科事典的意味論】。「典型的な鳥」と「典型的じゃない鳥」がいる、みたいな話です。普通に「鳥」と言われるとスズメとか鳩とかカラスみたいなものを思い浮かべて、ペンギンのようなものは思い浮かべないでしょう、と。

「鳥」という言葉の意味するものは何か、という時に、典型的な「鳥」のイメージ(プロトタイプ)と、ペンギンやダチョウのような生き物も「鳥の一種である」という百科事典的な知識と、両方が絡まってる。

ここのところの議論はプラトンのイデア論のような、言語学というよりは哲学の印象が非常に強いです。人間は「カテゴリー」をどう認識し、どう区別するのか。

初めて見た鳥を「鳥」と認識できるのはなぜか。

認識し、区別して、それに「名前(言葉)」を与える。人間の「認知能力」に、「言葉」ってすごく深く関わっていると思うのですが。

まだ「言葉」を知らない赤ちゃんにとって、世界はどんなふうに見えているのか。「お母さん」や「ほ乳瓶」という言葉を知らなくても、区別はついているはずで、それをどうやって頭の中で処理しているのかなぁ。

「言葉」がなくても「カテゴリー化」「概念化」する能力がなければ、世界は「初めて見るもの」ばかりでものすごく疲れる気がするんだけど、でも「言葉」を覚えて「言葉」に依存している私には、感情すらも「言葉」に引きずられてしまうような、「言葉」抜きでは「嬉しい」とか「悲しい」さえ感じられないのではないかと思ってしまう。

「痛い」とか「熱い」とか、まず皮膚や神経がそれを知覚して、後から「言葉」がやってくるんだろうとは思うんだけど。

「痛い」にも色々あるわけだし。

……とか考えてるとこの本の紹介からどんどん離れていくのでやめますが(笑)。

第4回は【使役構文の家族的類似性】。一般的に「使役」というと「太郎に本を取りに行かせる」とか「花子に約束を守らせる」みたいな「せる・させる」の構文を思い浮かべますが、言語学での「使役構文」というのはもっと範囲が広くて、「太郎が窓を開けた」も使役構文とされるそう。

「ええっ?」と思った方はぜひ本書をお読みくださいね(笑)。

こうしたさまざまな使役構文の意味の問題というのは、けっきょくのところわれわれが因果関係をどう認知しているかという問題になっていくと思うんです。 (P131)

第5回は【メトニミーをどう捉えるか】。「メトニミー」は日本語で言うと「換喩」だそうです。日本語で言われてもあんまり聞き馴染みがないですが。

たとえば「鍋が煮えている」と言った時に、実際に言いたいことは「鍋の中身が煮えている」ということですよね。

「洗濯機をまわす」も、要するに「洗濯する」「洗濯機のスイッチを入れる」ということで、「洗濯機をよいしょよいしょと回す」ということではありません。

「トイレを流す」も、トイレそのものがどこかに流れていっては困る。

こういうのは「トイレの水を流す」の「の水」の部分が省略された、というふうにも考えられるし、「トイレ」という言葉が「便器」や「便器がある場所」を表すだけでなく、「トイレでの行為全体」を意味するものになっているとも言えます。

小学生の時、学校の帰り道で「トイレしてきたー!」みたいな表現について、「ホントに体からトイレ出てきたらびっくりするよねー」ってひとしきり盛り上がったことを思い出します。「おしっこ」とか「うんこ」とか直接言うのがアレなので「トイレ」という言葉で表現してるわけですけども、しかしなんでそんな35年も前の帰り道の話を覚えているんでしょうね、私も(笑)。

で、難しく言うとメトニミーというのは「ある言語表現の複数の用法が、単一の共有フレームを喚起しつつ、そのフレーム内の互いに異なる局面ないし段階を焦点化する現象」(P161)だそうです。

え、わからない?

大丈夫、野矢さんも「分からない」とおっしゃっています(笑)。

最後、第6回は【メタファー、そして新しい言語観へ】

「メタファー」は「メトニミー」よりはよく出て来る単語ですよね。日本語だと「隠喩」。

お話の中で野矢さんが「それは言語学というより哲学ですよ」「とてもカント的な感じが」と言っておられて、「そうだよねぇ」と大いにうなずいてしまいます。

認知言語学の理論は、言語現象に対する新たなカテゴリー化を提示して、それによって言語現象に対する新たな見方をわれわれに与えてくれる。そこに、哲学に通じる認知言語学の魅力を感じるんです。 (P198)

「哲学に通じる」というか、「言語哲学」という言葉もあるし、なんか、境界は曖昧なのではないかと思ったりしますが……。

非常に興味深い分野だな、ということは確か。

もし学生時代に認知言語学のゼミがあったらきっと行ってたんじゃないか。いや、「ある言語表現の複数の用法が、単一の共有フレームを喚起しつつ」とか言われたら避けてたかな(笑)。

「言語学」なんて難しそう~という方にも読みやすい、楽しい本(お二人のやりとりが非常に親しげで、楽しそうです)だと思います。「言語学」は初めてでも、「言葉」は毎日使ってるものですしね。

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