2016年4月26日火曜日

『スペイン岬の秘密』/エラリー・クイーン



国名シリーズもいよいよ最後になってしまいました。ああ寂しい。寂しいよぉ。

前作の『チャイナ蜜柑の秘密』がいまひとつ面白くなかったのでこれはどうかなぁ、最後なのにそれほどでもなかったら残念だなぁ、などと思って読み始めたのですが。

疑ってすいませんでした。

エラリーが旧知のマクリン判事(クイーン警視の終生の友で、70歳を越えているらしい)とともに休暇を過ごしにスペイン岬に出かけてしまうので、警視もヴェリーもジューナ君も出てこないのがちょっと寂しいですが、お話は面白かった。

うん、「若き万能執事ジューナ君」の出番は『チャイナ蜜柑』が最後だったってことだよね。出演シーン、もっと噛みしめておかなきゃいけなかったんだなぁ……。

マクリン判事とスペイン岬に到着したエラリー。滞在予定の家でいきなり両手両脚を縛られた若い女性を発見します。それはスペイン岬の持ち主で大富豪ゴドフリーの娘ローラ。何者かに拉致され縛られていた彼女。そのことをゴドフリー家に知らせに行こうとするとそっちではなんと滞在客ジョン・マーコの全裸死体が発見されていました。

全裸の上にマントを羽織るという実に奇妙な格好で発見されたマーコ。彼は美男子で、自分の魅力を武器にしてあまたの女達を食い物にしていた悪魔のような男でした。言わば「殺されて当然」の悪党。彼を殺す動機のある人間はゴドフリーの屋敷にも複数いました。けれどもなぜ犯人は被害者の服をすべて脱がせたのか。なぜマントだけ残したのか。

珍しく私にも「犯人この人なんじゃないの?」っていうのが割と早い段階からわかったんですけど、「なぜ全裸なのか」の理由までは当てることができず。

解説に「おそらく、かなりの読者が、犯人を当てることができたり、当たらないまでも、エラリーの推理に納得させられたと思います」(P472)と書いてあって、今回私が「この人だ」と当てることができたのは私の推理力が上がったからではなく、この作品が非常によくできていて、ハイレベルでありながらわかりやすいという二律背反を達成しているからなのですね。

国名シリーズも9作目、クイーンの筆も円熟期に入ったということなのでしょう。

エラリーのような合理的な推理はできないにしても、「犯人についての予想」は割とすぐに立つ。それでも――というか、「犯人当て」じゃない部分にむしろ読み応えがあるんですよね、この作品。

悪魔的美男子マーコの食い物になっていた3人の女性。3人とも既婚なんですけど、それぞれの夫婦模様にドラマがあって、面白いのです。特に「脂肪まみれの始末に負えない四十女」などと周囲から言われていたコンスタブル夫人の境遇に同情を禁じ得ず。

美人でもない、太った四十がらみの人妻。マーコに出会うまではごく普通に「家庭の主婦」として暮らしてきて、子どもたちも立派に成人させ、夫の面倒も見てきた。

それが……。

自分のこと美人じゃないって知ってる四十代の主婦に、びっくりするようなイケメンが近づいてきたらねぇ。そらぽーっとなりますわな。悪い男に引っかかったのは自業自得かもしれないけど、「いつも夢見ていたの、だれかが――あんな男の人が……」(P284)っていう彼女の気持ちは、平凡な主婦にはよくわかってしまうからなぁ。

だからって彼女は夫のことを愛していないわけじゃなくて、「主人がこのことを知ったら、死んでしまう。重い病気なの。ずっとわたしを信じて、幸せにやってきた。主人に話すくらいなら、いっそ――死んだほうがましよ!」(P332)って言って、ほんとに死んじゃうんだよね……。

そうして、死んだ彼女をマスゴミが寄ってたかって蹂躙するんですよ。今も昔も、そして洋の東西も問わず、こういうところは変わらないんだなぁ。

静かに死ぬ権利は、凡人のためのものだ。暴力による死は、とるに足りない者を受難の重要人物におのずと変え、平凡なものから重要な表象を生み出す。ローラ・コンスタブルは、生前あれほど懸命に悪名から逃れようとしていたにもかかわらず、死によってそれを得た。 (P348)

まぁ、最初に「被害者が全裸」というセンセーショナルな殺人事件が起こっちゃっていて、かの有名な探偵エラリー・クイーンも捜査に加わっている中、屋敷の滞在客がもう一人死んだら、そりゃマスゴミが騒がないわけないんだけど。

平凡な主婦は、たとえ「いつも夢見ていた」にしても、

「私なんかに近づいてくるイケメンは所詮悪党」

と思って断固遠ざけておかなきゃいけません。夢を見るなら二次元だけにしておこう……。

ともあれ、こういう人間模様の描き方が、後のライツヴィルシリーズの芽も感じさせて面白いです。「推理の問題」だったものが、「人間の問題」になってくる。

終盤、「あんなやつ殺されて当然だったんだ。何もわざわざ真犯人を捜さなくても」というゴドフリーに対して、エラリーはこう答えます。

「それは」エラリーは大きく息をついた。「ぼくの仕事はある種の象徴を扱うものであり、人間を扱っているわけではないからですよ、ゴドフリーさん。(中略)ぼくは人間的要素に目をつぶって、この事件を数学の問題として扱うことを選びました。犯人の運命については、その手のことを裁定する人たちに委ねます」 (P426)

人間の問題であることに目をつぶって、あくまで数学の――推理の問題として扱う。

わざわざエラリーにこんなことを言わせているところに、解説の飯城さんも「作者も探偵も、人間を「ある推理の問題」として扱うことに、限界を感じてきたのではないでしょうか」(P474)とおっしゃっています。

国名シリーズ最後の1作は、ある種の「転換点」としても注目の作品なのかもしれません。

トリックを見破ることをメインにしたミステリを読んでいて誰もが一度は頭に浮かべる疑問、「人を殺すのにホントにこんな面倒くさい仕掛け考えるやついるのかよ」という問いに対しても、

「そこが才走った人間の困ったところです」エラリーはつぶやいた。「そういう人間の考えでは、犯罪を必要とするとき、解決できないよう巧妙に事を運ぼうとする。しかし、利口であればあるほど、また計画が複雑であればあるほど、手ちがいが起こる危険が多くなる。完全犯罪なんて!」疲れた様子で首を振る。「完全犯罪というのは、目撃者のない暗い路地で、見知らぬ相手を行きあたりばったりに殺すことです。手のこんだものではありません」 (P439)

と答えています。

今回の事件の場合、被害者が悪党なのは誰の目にも明らかで、屋敷には彼の犠牲者が複数いて、「カッとなって衝動的に殺してしまった」ならその方が、情状酌量で罪が軽くなりそうなんですよね。もちろん「軽くなる」よりそもそも犯人として掴まらないのが一番に決まってはいるんだけども。

あと、ゴドフリー屋敷の従者として出て来るティラーというおじさんが大変興味深い。推理小説愛好者で、エラリーの小説もたくさん読んでいるらしい彼、素晴らしい観察者でよく気がつき、エラリーをして「全知全能のティラー」と言わしめるほど。あまりに色々知っている上に落ち着きを失わないので「こいつ怪しい!!!」と思っちゃうぐらいです。

そのティラーとエラリーの会話。

「女に悪態をつくのは、どういう種類の男だろうか」
「小説においては――そう――ダシール・ハメットのタイプでございましょう」
「なるほど。ハードボイルドの外見に隠した黄金の心ってわけだ」
 (P209)

「(現実の世界では)黄金の心はめったにございませんね。非情(ハード)な外見の者はたしかにいますけれど。女性に悪態をつく男性には、概して二種類あると言えましょう。ひとつは頑なまでの女ぎらい、もうひとつは――亭主です」 (P209)

もうひとつは、亭主です!(※コメントは差し控えます)



最後にエラリーの安定のイケメンっぷりをどうぞ。

「眼鏡をとると、あなたはなかなかの美男子よ」
「え?ああ、そうなんです。だから眼鏡をかけているんですよ。下心のある女性を遠ざけるためにね」
 (P229)



国名シリーズは終わってしまいましたが、角川文庫新訳版にはまだ『中途の家』が残っています。ああ、読むのもったいなーい。

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