小説版『戦国魔神ゴーショーグン』に引き続いて、続編も読み返しました。



あとがきによるとこちらの方が先に企画されて、でも「そもそも本編をちゃんと知ってる人、少ないのでは?」ということで本編をノベライズすることが決まったのだとか。
「こんなマイナーなアニメ」「所詮忘れ去られる運命のロボットアニメ」などという首藤さんの嘆き節も懐かしく。

アニメの放送終了が1981年の12月。この「その後」は1983年4月の刊行です。

タイトル通り登場人物たちの「その後」が描かれるんですが、ドクーガが壊滅しても地球は平和にならず、「再び、主義・宗教・人種・国家の違いによる利害関係のため分裂し始め(P20)」たと描写されています。

未曾有の危機が起こっても一致団結するどころか……なのはこのコロナ禍、現在進行形で起こっていることのように思えますね。ドクーガ排除のため一度は団結したゴーショーグン世界の地球人類はまだしも偉いのではと。

一躍有名になったゴーショーグンチーム、マスコミに追われ、ファンを自称する人々に追いかけられ――。やってられないわ!とアフリカの動物保護区で保護官として働いているレミー
保護区の動物たちを密猟するグループの親玉、カインはなんとあのブンドルの弟で、兄に対する嫌がらせのためレミーを剥製にしようと企む。

キリーは故郷ブロンクスでしがないホットドッグ屋、イザベルともうまく行っていない様子。
真吾に至っては戦わなくていい日々に目標を見失い、すっかりただのアル中

昔、『Zガンダム』でアムロが幽閉されているのを見てショックを受けましたが、「一躍有名になったヒーロー」のその後って、こんなものなのかもしれませんね。ちやほやされたところで嬉しいことばかりでもなく、「放っておいてほしい」と思っても評判はつきまとい。

一方ドクーガ三幹部の方は、あの巨悪ドクーガの一員だったにもかかわらず、カットナルはアメリカ大統領になっているし、ケルナグールは相変わらずケルナグール・フライドチキンの社長、愛妻から「社長自ら働け!」とケツを叩かれている。

「宇宙美学論」を完成させたブンドルは飛騨山中で滝に打たれて禅の修行。レミーに手を出した弟カインを自ら成敗、傷を負ったレミーを寝ずに看病してくれたりします。
ブンドルがレミーを気に入っていたことはテレビ本編でも描かれていましたが、さらに距離が縮まる感じに頬が緩みます。うぷぷ。

サバラスから「ケン太が帰ってくる」「みんなを集めてくれ」と声をかけられたレミー、かつての仲間たちのもとを訪ね、最終的にはドクーガチーム含めみんながグッドサンダーに集まることに。

テレビ本編ノベライズの方で「グッドサンダーにはなぜか100人は生活できる居住スペースがあった」っていう“謎”が提出されていたのですが、その答えが今回明かされます。

テレビシリーズでは使われないままだった居住空間、「ケン太と一緒に宇宙に行く子どもたち」を乗せるためだったんですね。
本編の最後で地球のソウル達と一緒に遠い宇宙の果てへ飛んでいったケン太くん、宇宙の果てで「自分達の居場所となる星」を見つけ、そこを地球のような緑豊かな星にして、そこに自分と同類の子ども達を移住させるべく、迎えにやってきます。
(鎧武の紘汰神が別の星を居住可能にしたのを思い出してしまった)

選ばれた子ども達……というか、風と話せたり海と話せたり、極度の自閉症で人とはコミュニケーションの取れない子ども達が自主的に呼びかけに応じて集まってくるわけです。

「このまま地球にいたら、僕らは古い人類を滅ぼしてしまう」

宇宙に飛び出していける「進化した人類」が主に自閉症とされる子ども達で、「問題児」とされた彼らが消えても親たちは悲しまなかった、って描写、今だと色々引っかかるかもしれない。

ともあれ彼らを無事目的の星に送り届けるのがレミー達の仕事。ネオネロスの残骸や、ネオネロスと同じ邪悪なソウルの妨害を斥け、グッドサンダーは新たな星へたどり着けるのか――!?

まぁそりゃ正義が悪に負けるわきゃないだろ、ハッピーエンドになるだろ、と思うわけですが、そこはゴーショーグン、ひと味違っている。

せっかく集められ、地球には戻れないだろうことを承知で「宇宙への片道切符」に応じたかつての戦士たち、残念ながらあんまり出番がない
進化したケン太の力と子ども達の力でほとんど解決できてしまって、「我々は何の役に立ったんだろう」という虚脱感に襲われる面々。

これ、面白いですよね。

あとがきで首藤さんが「TV版ゴーショーグンは色々実験をした番組でした」っておっしゃってるんだけど、主人公のはずのゴーショーグンチームは「物語の主役」ではなく、単純に正義のために戦っているのでもなかった。
敵側であるドクーガチームも同様、別にネオネロスに忠誠を誓っていたわけではなく、単に利害が一致していただけ。

で、この「その後」でもそれぞれ別の生活を送っていた面々が「よっしゃ、もういっちょ!」とせっかく集まるにも関わらず、見せ場は与えられない。
そもそも「ゴーショーグン」自体が本編最後でケン太と一緒に別の星に飛んでいっちゃってて、タイトルロールの巨大ロボットがもういない(最後にはちゃんと活躍しますが)。

個性的なキャラクター達の生き様を描くのが主と見せかけて、「新しい人類」「メカにも自我」「宇宙への飛翔」を描く本筋はなかなかハードなSFで、でもやっぱりレミーもキリーも真吾も、「新しい人類のお守りなんてまっぴら」と思っていて。

「俺達は俺達で好きにやってきた事だ。新しい人類を守るなんて、ごたいそうなお題目はまっぴらだよ。(中略)アルコールを断って鍛え直したこの体が、全く役にたたない世界なんてのは、くそくらえだ!」 (P242-243)

これは真吾の台詞ですが、もしも現実に「新しい人類」というものが出現した時、私達古い人類はどうするんでしょうね。
SF的な「人類の進化」ってけっこう「肉体の檻から解き放たれる」みたいなのが多い気がするけど、意識体になったり、エネルギーだけの存在になったり、その結果自己と他の境界が曖昧になって「意識集合体」みたいになったりするの、本当に「進化」なのかなぁ。

「個」としてのエゴが争いを引き起こす、それがなくなれば平和にもなるし、集合することで強大な力を振るえるってこともあるかもしれない。もしかしたら「不死」にもなるかもしれないけれど……。

最後の最後、死力を尽くして邪悪なソウルを倒して、でも別にそれは「受けた仕事は最後までやる」というだけのことで、新しい人類のその後も、地球の人類のことも知ったこっちゃない、っていうレミーたちの信条、めっちゃクール。

テレビをノベライズした前作よりも「小説」としてしっかり楽しめるし、巻頭には保護官としてのレミーの活躍をアニメっぽく描いたカラーページが付いてお得。
巻末にはなにわあいさんによるパロディ、そしてテレビシリーズのスタッフ&キャスト、放映リストも付いています。

これだけ豪華で定価たったの380円! もちろん消費税なんてものはない!

昭和の文庫は中学生のお財布に優しかったな……(遠い目)。

「えっ? パートⅢですか? はあ……。がんばります……。」(P250)というあとがきの通り、パート3、パート4――とレミー達の世界は広がっていきます。


(※裏表紙は可愛いなにわあいさんのイラスト。そして入っていた栞は元キャンディーズみきちゃんのソロシングル広告でした!時代を感じすぎる)

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小説版『戦国魔神ゴーショーグン』を久しぶりに読み返した

『またまた戦国魔神ゴーショーグン 狂気の檻』/首藤剛志

『4度戦国魔神ゴーショーグン 覚醒する密林』/首藤剛志

『戦国魔神ゴーショーグン 時の異邦人(エトランゼ)』/首藤剛志

『戦国魔神ゴーショーグン はるか海原の源へ』/首藤剛志

『戦国魔神ゴーショーグン番外篇 幕末豪将軍』/首藤剛志

『戦国魔神ゴーショーグン番外篇2 美しき黄昏のパバーヌ』/首藤剛志