2018年1月6日土曜日

『書架の探偵』/ジーン・ウルフ



『新しい太陽の書』『デス博士の島その他の物語』で有名なジーン・ウルフの最新作ということで。

手に取ってみたのですが。

うーん。

あんまり面白くなかった……。

「生前の作家の脳をスキャンして、その記憶や感情を備えた“複生体”(リクローン)」が図書館に“蔵書”ならぬ“蔵者”として存在する近未来。その“蔵者”の一人、E・A・スミスのもとにコレット・コールドブルックという若い女性が現れ、「協力してほしい」と彼を借り出す。

なので原題は「A Borrowed Man」(借りられた男)です。

ミステリ作家だったオリジナルのE・A・スミスの知識や推理力を駆使して、“蔵者”であるスミスがコレットの抱える謎を捜査・解決していく。“蔵者”は図書館の書架に住んでいることから「書架の探偵」という邦題になるわけなんですが。

うーん。

設定は面白いんだけど、正直設定倒れというか、主人公(語り手もスミス)が“複生体”であることに、あんまり意味がないような。

コレットがスミスと話をしに来たのは、コレットの兄が殺される前にスミスの著書『火星の殺人』を彼女に託したから。もともとは父親の金庫の中に入っていたというその本。すでに亡くなっている父親は謎の多い人物で、富豪なんだけどそのお金をどうやって得ていたのか、家族も知らなかった。

金庫に隠されていた『火星の殺人』には父の金儲けの秘密が隠されているはず。そして兄が殺されたのもきっとその秘密のせい。

で、実際その本は「秘密の鍵」ではあったんだけど、「そこに書かれた物語」が謎を解く鍵、というわけではなかったので、「書いた人の記憶」とか、関係ないんだよね。別に、探偵役がその作者(のコピー)である必要はないし、スミスの捜査の仕方はごく普通のもので、「“複生体”ならでは」みたいなことはあんまり感じられない。

彼らは「純正な人間」じゃなく「モノ」で、誰にも借りられない、人気のない“蔵者”はゴミと同じく「焼却処分」になるし、捜査の途中で万一“敵”に殺されたとしても、それは「殺人」にはならず、せいぜい「器物損壊罪」にしかならない。

つまり、スミスを“複生体”だと知ってる人間は彼を“殺す”ことにさほど罪悪感も躊躇も覚えないだろう、ってことで、それはスミスにとってはもちろん大きなことだけれど、そのことが話の展開を大きく左右するわけでもない。

うーん。

「図書館所有の“モノ”」でしかないからお金もケータイも持ってなくて、コレットとはぐれて一人で街をさまようとなったら大変なはずなんだけど、そこはそれ、すごく有能な協力者が現れたり、気前良くお金くれる人がいたり。

たまたまバスに乗り合わせただけであんなに協力してくれるジョルジュとマハーラはちょっと都合が良すぎるんじゃ、と思ったし、なんかラストも呆気ない感じが。

ミステリとしてそれなりに楽しめたし、『新しい太陽の書』のあの「こんがらがり感」とは別人のような読みやすさで、「何か軽いものを読みたい」時には悪くないと思うけど、でもあの「なんだかよくわからない!わからないけど面白かった!」っていうのが良かったわけで、なんというか、「普通」でした……。

本――紙に印刷された、オンデマンドではない、本物の本。それはわたしが属していた文化全体の神髄であり、魂にほかならない。文化は人間と同じだ。文化は老いて死んでいく。ときどきは、たいして老いてもいないのに死んでしまうこともある。 (P25)

「あなたがた純正な人間は、すでにわたしたちの著書を持っています。そして、わたしたちが書いた本は、わたしたち蔵者よりもすぐれている。本以上のものには、わたしたちにはなれません」 (P67)

といったくだりは本好きには楽しいけど(後者はディケンズの話が続くし)、「本以上のものにはなれない」から、「文章を書くことを禁じられている」“複生体”、えーっ?この時代の人はじゃあ何のために作家の“複生体”なんか作ってんの?と思わざるを得ず。

人口がぐんと減って、資源や活力が減ってしまった時代みたいだけど、「書けない」作家を図書館の書架に並べて、ただ少し会話するために彼らを“閲覧”したり“借り出し”たりするって……。

もしもディケンズの“複生体”がいたら

「『エドウィン・ドルードの謎』をどうおわらせるつもりだったのかについてもです。それはわたしもぜひ知りたい」 (P67)

未完の作品の結末について聞けるかもしれないし、テストでおなじみ「ここで作者は何を言いたかったのか」と直接聞けるけれども、そんなの聞いてどうするんだ、って思うし。

“複生体”は普通に食べたり飲んだりするし、シャワーも浴びるし、セックスだってできる。スミスはオリジナルのスミスの妻だった詩人のアラベラの“複生体”と寝ますからね。アラベラはいくつかの図書館に複数いたりするんですけども。

あ、スミスも複数いて、その複数のスミスが鉢合わせしたり、協力して敵を翻弄したりしたら面白かったかな。ウルフさんは続編を書く予定だそうだから、その時にはもしかしたらもう一人のスミスが出てくるかも。

まぁ、続編の主人公がスミスだとは限らなくて、別の“蔵者”という可能性もありますが。

“複生体”は何も作家に限らず、死んだ家族の脳をスキャンして“複生体”を作るということもできるようで、それってどうなのかな、と思いますよね。死んだ人を取り戻したい、もう一度会いたいと思うのは自然な感情だけど、やっぱりそれは“本人”じゃないわけで。

作家の“複生体”はある種の娯楽として作られているんだろうけど、あまり利用されなければ睡眠薬飲ませて焼却処分にする、そんな存在を、セックスまでできる“生きもの”として作ってしまうっていうのは――この時代の人は何を考えているんだろう。

オリジナルの記憶と知識を持ってはいても、自分が「コピー」だってことは知ってるし、「焼却処分」のことも知って、「作家」としての自我を備えているのに新たに作品を書くことは禁じられ、誰かが自分を閲覧しに来てくれるまで書架でだらだらしているしかないんだもんなぁ。

AIやロボットでさえ“自我”云々で「殺してもいいのか?」みたいな話になるのに、「ほぼ人間」だけど「モノ」なんて存在、作っちゃいけないと思うよ……。
(『仮面ライダーオーズ』見返してグリードたちの末路に涙しているのでよけいそういうとこばかり気になってしまった)


【2018/01/07追記】

アラベラの“複生体”の一人が実際にこんなことを言っていました。

「どうして図書館はこんなことをするの? なぜあたしをリクローンするの? なんにも書かせてくれないくせに」 (P117)

この問いにスミスは

「なにも書かせてくれないのは、書かせる意味がないからです。きみが書く詩を評価する者はほとんどいません。君が新たに書く詩は――あす書いたとして――一世紀前にきみが書いた妙詩の価値を下げてしまうだけでしかないのです」 (P118)

と答え、アラベラは「でも、焼却されちゃう! だれも借り出してくれなかったら、あたし、焼却されちゃうのよ」 (P118)と言って涙を流します。

コピーが書いた作品を評価する人間はいない。だから図書館は彼らに何も書かせない。ならなぜ「あたしをリクローンするの?」

本当になぁ。
彼らを養っておくには食費もいるし、そもそも彼らを生み出すのだってけっこうなお金がかかるはずなのに、人間はなんでわざわざそんなものを作るのか。紙の本を読む人が減って、おそらくは「文筆家」という人種も減って、絶滅した動物の剥製を展示するように、かつての作家の「コピー」を展示している、ってことなんだろうけど。

0 件のコメント:

コメントを投稿