久しぶりの読書です。
『ゴーショーグン』シリーズは細々と読み返していたんですが、なんとなく新しいものに手を出す気力が出ず、図書館からも足が遠のいていました。

このままではいかん、本を読めなくなったら“私”じゃなくなるぞ、という謎の危機感に背中を押され、半年以上ぶりに手に取ったのはこれ、オルコットさんの「幻の小説」。

『若草物語』の2年前、1866年に書かれた作品なのですが世に出ることはなく、1990年代になってその原稿を入手した人物が校訂の上、出版。130年の時を経て全米ベストセラーになったという、その経緯自体が“物語”のよう。



この日本語訳は1995年の刊行。アメリカでの出版からほとんど間を置かず邦訳されたみたいですが……当時日本で話題になったのでしょうか? あのオルコットさんにこんな作品があること、まったく知りませんでした。

「こんな作品」――そう、『若草物語』や『八人のいとこ』とはずいぶん違う作風、オルコットさん自らが「血と雷(ブラッド・アンド・サンダー)スリラー」と呼んでいたらしいのですが、「こんなの書いてたんだ!」と驚かされます。

物語は、イギリスの小さな島で祖父と暮らすロザモンドのもとに、謎めいた男テンペストが訪れるところから始まります。
男の名が「テンペスト」っていうところがもうアレ(どれ?)ですが、冷たい祖父との孤独で退屈な暮らしに倦んでいた若いロザモンドが、額に傷を持つ「いかにも訳あり」なたくましい男に惹かれないわけはなく。

そしてまた、海千山千の“山師”テンペストが、外の世界を知らずに育った大胆で美しい、生き生きとした少女に興をそそられないはずもなく。

2人はテンペストのヨットに乗って、島を出て行くことになります。
ロザモンドは18歳。テンペストはもう30を過ぎている。
ロザモンドの祖父の意向、そしてロザモンド自身が望んだことから2人は結婚し、ニースの別荘で1年余りを幸せに過ごすのですが……。

実はテンペスト、既婚者だったのですね。そうとは知らずに彼と結婚した(実際には偽の司祭による“結婚”で、法的には無効)ロザモンド、事実を知って彼のもとを逃げ出します。そしてそこから原著のタイトル通り、「LONG FATAL LOVE CHASE」が始まるのです。

長い、致命的な、愛の追いかけっこ(どんだけ直訳)。

ロザモンドは逃げる、でもテンペストは追ってくる、また逃げる、また見つかる、今度こそ逃げおおせた、ぎゃー、また掴まった!!!がしつこく繰り返されます。

もともと雑誌に連載するために書かれたということで、章の区切りで「どうなるの!?」と思わせるのも巧いし、「今度こそ」が裏切られながら次回に続いていく構成、人物描写の妙、そしてヨーロッパをあちこち旅する「紀行物」の一面など、さすがオルコットさんと思わせます。

時に殺人をもいとわないテンペスト、途中からロザモンドに忌み嫌われ、恐ろしい悪魔のように描かれますが、彼は彼なりにロザモンドを愛しているのですよね。だからこそ執拗に彼女を追いかける。自分のものにしようとする。
彼にしてみれば、ロザモンドが逃げるから追いかけるのであって――「自分のものにならない」からこそ一層「手に入れたい」と思うわけで。
もしもロザモンドが従順で、あるいはその境遇を諦めて受け容れてしまっていたら、早々にテンペストは彼女に飽き、「どこへなりと行くがいい」とほったらかしにしていたかもしれない。でも彼女が逃げ回るものだから、ますます彼女のことが「魅力的」になってしまう。

テンペストは彼女を騙して“重婚”した形になったけど、ちゃんと最初、「女友達としてついてきてくれ」って言ってるんだよね。だけどロザモンドの方が「そんなの許せない!結婚してくれないなら海に飛びこむわ!」つって脅して、仕方なくテンペストは“結婚”の体(てい)をとった。

当時の貞操観念からすれば18歳のロザモンドが「ええっ、愛人として来いってことなの!?冗談!」と思うのは無理ないし(今の貞操観念でもそうか?)、そういうロザモンドに対してテンペストがほんとのこと――「実は俺、結婚して子どももいるんだよね、別居してるけど」って言えないのも仕方ない。

そもそもは賭博で負けた代償に「ロザモンド連れてってもいいよ?ただしちゃんと結婚してね」などと言ったおじいちゃんが悪いという気はする。(だからそこで「いや、俺もう結婚してるんで無理っす」とテンペストが答えれば良かったわけだがそうすると話が始まらない)

「十年前にこの女とめぐりあうことで、決してつぐないきれない裏切りをせずにすんでいれば、どんなによかったろう」 (P68)

と内心ではつぶやいてもいて、テンペスト、ほんとにロザモンドのことは心から愛してるんだよ、「出逢ったのが遅すぎただけ」……。

ってゆーか、これ、実のところ「女の子の理想の愛の物語」だったりはするよね? 自分をこの狭い、退屈な世界から連れ出してくれる白馬の王子様を待ちわびて、実際に現れたのは翳りを帯びた「黒衣のイケおじ」、でもお金は持ってるから1年は蝶よ花よで暮らして、その男には実は妻子がいたけど本気で自分を「欲しい」と思ってくれて、逃げても逃げても追いかけてきてくれて。

途中まではロザモンドもテンペストへの愛を完全には断てずにいて、テンペストの追跡がなければないで寂しかったりもした。

だが彼女の手に負えない心の奥底には、彼がどこにいて、何をしているのか、愛と同じだけの悲しみで自分の死を嘆いてくれたかどうかを知りたいという願望がしつこくこびりついて離れない。 (P181)

その後、本物の「白馬の騎士」――元は2月革命の英雄だったという司祭イグナティウスが現れて、ロザモンドの愛は彼に注がれてしまいます(そしてもちろん彼も彼女を愛してくれる)。
高潔な彼はテンペストを心身ともに敗北させるけど――そして女の子にとってこういう「騎士」もまた憧れではあるけど、でも最終的に「ロザモンドとイグナティウスのハッピーエンド」にはならないところが実に素晴らしいなと思います。

女心をわかってるというか、これ、ハーレクインとか少女漫画とか、そういう作品よね。ハーレクイン読んだことないけど。

なんとなく『嵐が丘』を思い出したけど、『嵐が丘』は1847年発表らしいので、オルコットさんももしかしたら読んでいたかも。テンペストの造型、どこから着想を得たのかなぁ。
18歳のヒロインに対して「黒騎士」も「白騎士」も若造ではなく、30過ぎてる(テンペストは35歳)というところもね。いいよね(笑)。

1832年生まれのオルコットさん、これを書いた時は34歳。
『若草物語』以前に、別名義でこういう「血と雷スリラー」をよく書いていて、その後、「家庭小説作家」として大成した後も、ひそかにこういう系統の物語を書いて、

「大いに楽しんで書いた。少女向きの家庭小説を書くのには疲れた」

と言っていたらしい。
へぇ~と思うと同時に、あの『若草物語』のジョーならば「道徳的で教育的、女は黙って男の言うことに従っていればいいなんてお話、何が面白いの!?」と言うに違いない気も。

ロザモンドは悪い男に騙された「悲劇のヒロイン」ではあるけど、ただしくしく泣き暮らすのではなく、断固として逃げ回るわけで、この時代の若い女の子が何の後ろ盾もなく、たった一人で金と力を持った男と対決するって、たぶん「すごいこと」だったはず。

この作品、「雑誌連載する作品を」と編集者に言われて書いて、でも結局その編集者に「長すぎるしセンセーショナルすぎる」と言われてボツになったらしいのだけど、テンペストの造型ではなくヒロインの造型こそが当時としては「センセーショナル」だったのかも。

オルコットさんは批判された点を改善すべく突き返された原稿に色々手を入れていたそうで、『続・若草物語』でのジョーの嘆きを思い出します。「自分では特によく書けたと思っている部分を削って三分の一の長さにしたら出版してやる」と言われた話とか……。(→『続・若草物語おまけ~小説家としてのジョー』

テンペストの部下として、主人の命に忠実に従い、狩猟犬さながらロザモンドを追い詰める冷酷で不気味なバプティストの造型、冒頭で「魔法の鏡」の予言として示される悲劇的な結末。

「自分にはとても感じられそうもないような後悔と絶望をありありと表情に見せてね」 (P31)

予言なんてでたらめだった、魔法の鏡なんて嘘だった、と馬鹿にしていたテンペストが最後に感じる後悔と絶望。
きっとこの作品も、「大いに楽しんで」書いたんだろうなぁ、ふふふ。

オルコットさんの「血と雷スリラー」、もっと読んでみたかったです。

(※英語が読めるなら読める、『ポーリンの情熱と罰』。誰か邦訳して…。『現代のメフィストフェレス』も。そういえばテンペストも冒頭で「メフィストフェレス」に似てると描写されてた)