大河ドラマをきっかけに『双調平家物語』を読み返そうプロジェクト進行中。
(5巻までのおさらいはこちら

第6巻は主に「白河院はなんであんな暴君になってしまったのか」というお話。

白河院の父親は後三条天皇。後三条天皇はその前の後冷泉天皇の異腹の弟。後冷泉天皇の母親はかの藤原道長の四女。つまり後冷泉天皇は道長の孫だったのだけれども、後三条天皇の母は藤原の娘ではなく内親王だった。この内親王も実は道長の孫だったりするんだけども、「摂関家」というのが「娘の腹に皇子を得て、その皇子を帝位につけ外戚として威をふるう」ものである以上、「内親王腹の皇子」というのは「うまみ」がない。

だもんで、即位以前の後三条天皇はもちろん、その息子である後の白河院は大変不遇だった。道長の息子である頼通教通兄弟は後冷泉天皇に競って娘を贈り、その娘が皇子を産み、次の天皇になることを熱望していた。後三条天皇は「東宮」だったけれども、摂関家にとっては「邪魔な存在」でしかなく、ために東宮の御子たる白河院は父が即位するまで「親王宣下」も受けられていなかった。

頼通教通の娘達は皇子を生まないまま、後冷泉天皇は崩御。

帝位についた後三条天皇や白河院が「それまで自分たちを冷遇してきた」摂関家を恨むのは当たり前、その「専横」を排そうとするのは当たり前の話。

乱世へと向かうその先の世に最も肝要となるものは、舅たる男の力を排し、ただ人を従えるばかりの「父」となることだった。それを抑える「舅」としての力を奪われて、その後の摂関家は、哀れにも凋落への道を辿るのである。 (P51)

東宮時代の後三条天皇に、摂関家嫡流の男達は娘を奉ろうとしなかった。白河院の母は同じ藤原でも傍流の男の養女である。御世の帝の後宮に娘を贈ることばかり考えて、「その先」へ手を打つことを忘れたあげく、摂関家は「舅」としての地位を失う。

頼通教通にも気の毒なところはあって、父道長が先手先手で四人の娘を次々と帝の后にしたために、頼通教通の娘の出番が来なかったのだ。しかも皇太后やら中宮やらになった頼通教通の実の姉妹達は「私がいるのになんであんたの娘なんか後宮に上げるのよ」とか、「私の娘(内親王)の立場はどうなるの」とか言って、頼通教通の行く手を阻む。

そうして後手に回ってるうちに、頼通教通は「舅」になり損なう。

何しろ道長の長女は66代一条帝の后、次女は67代三条帝の后、三女が68代後一条帝の后で、四女は69代後朱雀天皇の后。次の東宮、その次の東宮、と全部自分のものにしちゃっていたのだ、道長。

偉大で先が読めすぎたために、かえって息子達の「先」を潰してしまった道長。「欠けたることのなき望月」が欠ける芽は、実は自分が蒔いていたのね……。

で。

「親王宣下」を受けると同時に「東宮」にもなった白河院。

でもやっぱり彼は不遇のまま、彼に娘を贈る権力者もない中、父帝は若い女に手をつけ皇子を二人ももうけ、「おまえの次の天皇はこの二人の兄の方、そしてその東宮には弟の方を」と白河院に言い含める。

「必ず弟二人を天皇に、必ず」と言って父帝は亡くなってしまい、「わかりました」と言ったものの、よく考えるとその「遺言」は、「おまえはただの繋ぎだからな」と言っている。後三条天皇が亡くなった時、まだ弟達は2歳と0歳とか、そんなもんなのである。そして白河院は20歳くらいの青年。

これからいくらでも白河院にも皇子ができるはず。でも「東宮はおまえの子じゃなくて俺の子。その次もやっぱり俺の子」。

え? それって、おまえはさっさと譲位して弟に御位を譲れってこと? おまえは子を作るな、自分の子を東宮にしようなどと思うなってこと?

……死の間際、単に後三条天皇は生まれたばかりの幼い子ども達の行く末が心配だったのであろうけれども、不遇の時を経てやっと帝位についたと思ったら実の父に「おまえはさっさと譲位しろ」に等しいことを言われてしまったわけで。

白河院が狂っていくのもむべなるかな。

でももしかして最愛の女、賢子が早世しなかったら、白河院の暴虐もあそこまでにはならなかったのかもしれない。

賢子は藤原頼通の息子師実の養女。摂関家嫡流の女がやっと白河院のそばに上がる。一度失われた摂関家の勢威はもう戻らないけれど、自身にふさわしい若さと美しさを兼ね備えた賢子を、白河院は深く愛す。

愛して、そして自身も「父」になって、愛する女の生んだ皇子を後継ぎに、と思う。父、後三条帝の遺詔に反して。

人を愛するのは、人の常である。人を愛して、人は、愛せぬ者が生まれることに気づかない。ただ「愛しい」と思う者のかたわらには、「さほど愛しいとも思われぬ者」が必ず生まれる。光がさせば影が生まれる。さす光が強くなればなるほど、そのかたわらの影は強く濃くなる。愛されぬ者の影を濃くして、人の愛なる執着はいやまさる。仁慈の敵は、愛なのである。 (P95)

「仁慈の敵は、愛なのである」という一文に唸ってしまうのだけど、みんなに思いやり深くあろうとすれば、個別の深い愛は捨てなければならないのだよね。つまりは「私心」というものを。

その第一は、天子が「私(わたくし)」をお持ちになられたゆえである。 (P124)

何の「第一」かっていうと、「御世の変貌」=乱れ、なのだけれど。

白河院が「私心」「私欲」を持った時、それを諫められる者がもう御世にはいなかった。

でも、それが世の乱れのもとなら、天子は従来通り摂関家に抑えつけられていた方が良かったのか? 「舅」たる者に「私」を取り上げられて、ただ次の帝を生むだけの存在でいれば?

私欲なくただ国のこと民のことを思う、もちろんそれが理想だけれども、そんなことが神ならぬ人の身に可能なのだろうか。

天子であろうとも、誤った時には諫める者が要る。摂関家の力が弱まり、そのような者がいなくなった。しかしそれ以前、摂関家は「私欲」のためにしか天子を諫めなかったのではないのか? どちらに傾いても、「専横」は生まれる。ただその座にある者の「徳」を期待するしかないのか――。

そもそも摂関家は、「お主上にご意志はない」ということを前提とする勢力なのである。 (P134)

御世の帝のなさるべきこととは、摂関家の娘を寵され、その腹に皇子を宿され、その皇子に御位を譲られることである――摂関家の長達は、長い間このことを信じ、この理(ことわり)に従って御世を動かして来た。皇子を得られ、三十(みそ)を過ぎられた帝が御位にあられるなどとは、そのこと自体が異例なのである。 (P150)

そんなことわりが正しいわけもない。その歪みを正そうとして、けれどその専横しか「手本」がなければ、「天子が力を得る」=「天子が摂関家のごとく朝廷をわたくしする」にしかならなくても仕方がないのではないのか。白河院の横暴は、勢威をなくした摂関家自らが利のために白河院に我欲を吹き込んだせいでもあるのだから。

悪いのは、一体誰だろう?

愛する中宮賢子を亡くして、白河院は嘆き悲しむ。中宮の忘れ形見の内親王に妻の面影を見て、実の娘ゆえに交わることができず、手当たり次第に女に手を付ける。けれど愛する中宮以外の女が生む「子」には何の関心も持てず、お手つきの女ともども臣下にくだされる。平忠盛もまた、そのようにしてご落胤を押しつけられた「臣下」だった。

もしも賢子が健在で、その後も白河院の皇子を生み、そばで見守っていたなら、少なくとも「清盛」は生まれなかったのかもしれない。忠盛に預けられることもなく、歴史は変わっていたのか……。

源義家憎しの心で用いた源惟清。その妻が若く美しいと聞いて白河院は早速寝取る。それが大河ドラマで松田聖子が演じている祇園女御。院の御所に昇殿を許された喜びもつかの間、惟清は弟達ともども流罪になる。その妻を手元に置こうとする白河院の気ままによって。……ほんまになぁ、白河院。

『双調平家物語』では祇園女御の異腹の妹(親を亡くして女御のもとに引き取られていたらしい)を清盛の実母としている。

そして子のない祇園女御の養女となったのが壇れいちゃん演じる藤原璋子、後の待賢門院。

幼い頃から白河院と一つ寝をして育った璋子。小学生の年齢で白河院の「愛妾」だった彼女は14歳で二人の男と密通し、17歳で鳥羽帝の後宮に上がる。御世第一の権力者に愛されて育った気ままな「女王様」の彼女はしかし、ほとんど常に白河院のもとにいた。鳥羽帝のそばにいるのは月の触りの時ばかり。それで彼女が妊娠したなら、その御種が誰のものであるかは一目瞭然。もちろん鳥羽帝も最初から知っていた。

璋子が崇徳帝を生んだのは19歳、白河院はその時67歳。鳥羽帝は17歳だった。

「鳥羽院失せさせ給いて後、日本国の乱逆ということは起こりて後は武者の世」と、天台の大僧正慈円の言うその始まりは、お手つけられた養女を、白河の上皇が鳥羽の帝の後宮へ上げられたこと。子を生まぬ三河守の妻を奪われ、夫たる源惟清の一族を流されたこと。源義家の衆望を悪(にく)まれ、同じ清和源氏の惟清を、院の御所へとお召しになられたこと――これこそが、後の世の綻びの種である。 (P235)

自分の愛妾を帝の後宮に送ってしかも自分の子を産ませる、なんてことはさすがの摂関家もしなかった。自らが「天皇」であったがゆえにできた狼藉だよなぁ。

本当に気の毒な鳥羽帝。白河院の睨みが効いてるから、他の女を後宮に上げることもできやしない。17歳で祖父の子(つまり叔父)を「自分の子」とさせられるなんて。

それはまた「当の生まれた子」である崇徳帝にも暗い影となってのしかかっていくわけで。

嗚呼、白河院。

鳥羽帝は21歳の若さで位を下ろされる。自身の子ではない崇徳帝にその座を譲るために。もちろんそれは「自身の子を御位に」と思う白河院の意志。崇徳帝はその時わずか5歳。(ちなみに鳥羽帝は5歳で御位についてる。鳥羽帝の父堀河帝は8歳で即位)

崇徳帝11歳の時、白河院は77歳で崩御。鳥羽院は28歳。ついに「目の上のたんこぶ」がなくなった鳥羽院。逆襲が始まって当然だよなー。

白河院の不興を買って宇治に隠居していた前の関白藤原忠実を呼び寄せる鳥羽院。一方、忠実の嫡男忠通は自身の娘を崇徳帝の中宮にしていて、「次の帝の外戚となる」という摂関家の本分を取り戻そうと布石を打っている。

崇徳帝(朝廷)につく忠通と、鳥羽院(院の御所)につく忠実。二組の親子による「乱」はもうすぐそこ……。(って書いたけど、7巻読み進めたら「乱」の様相はそういうものではないような。あれれ)



ということで、6巻は終わるのですが、忠実の嫡子忠通を産んだのは、白河院最愛の中宮だった賢子の異母妹・師子なのですね。賢子の妹ならさぞかし…ということで彼女も白河院の毒牙にかかり、その御子を産んでいたのだけれど、御子ともどもうち捨てられていた。

その師子を、忠実は妻にする。白河院の御子を引き取ったわけではなさそうだけれど、白河院のお手つきの女を自分のものにした、という意味では忠実も忠盛と同じだったのですね。

しかし、驕ったのは平氏ばかりではない。藤氏とてまた驕った。驕る以外になすべきようのない権勢の座に着いて、平氏の一族はその先例に従い、なすべきことをした。武者の世を招いた者は、その権勢の座にあって、権勢を守る以外のことをなしえなかった者達である。 (P290)

藤の一族に、平氏の驕りを責めるほどの資格はない。他氏の栄華を羨むばかりの都の男達に、武者の世の到来を嘆く資格はない。 (P292)

摂関家の専横、白河院の横暴、貴族達の無為無策……こんな魑魅魍魎が跋扈する世界で、平清盛がどれほどの「逆臣」であったのか。ねぇ。

(7巻の感想記事はこちら