『キャッツ・アイ』『オシリスの眼』に続き、ソーンダイク博士ものを手に取ってみました。

久しぶりのハヤカワ・ミステリ。
しかも古いやつ!
活字が小さいのが嬉しくもつらい(笑)。
そして促音や拗音が「してしまつた」のように大きく書かれていてワクワク!
昭和のかほり~♪
別に大きく書かれてても読む時は脳が勝手に促音拗音として処理するので問題なし(そういう意味ではなんで小さく書くように正字法が変わったんだろうか…。ちょこっとググったら法令文で「小さく書くように」と通達があったのは昭和の終わりらしい。へぇぇぇぇ)。

このハヤカワ・ミステリの初版は1957年(昭和32年)
図書館にあったのは1998年(平成10年)に「発刊四十五周年記念」で復刊されたものでした。

原著は1926年(昭和元年)刊行らしく、1911年の『オシリスの眼』、1923年の『キャッツ・アイ』より後の作品ということになります。

で、ハヤカワ・ミステリで邦訳が出たのが前述した通り昭和32年なわけですが、昭和32年ですでに

「近ごろのように忙しい社会で、その忙しさをそのまま反映したような、目まぐるしい探偵小説ばかり読んでいると、ときおりフリーマンの作品がなつかしくなる」 (P221)

と解説に書かれているんですよね。
いわんや2019年をや(^^;)

裏表紙にも「本書はつとに出版を望まれながら、今日まで訳出の機会を得なかった。本邦初訳の古典的名篇である。」と。昭和32年ですでに古典的名篇と言われるフリーマンさん。まぁホームズのライバルなんですもんね。

あとこれ、江戸川乱歩さん監修の「世界探偵小説全集」の1冊として訳出されていて、乱歩さんの乱の字が「亂」なのも昭和のかほりですごくいいです。復刻版なので「本体+税」となってるのが興を削ぎますけれども。

さて、解説で「目まぐるしい探偵小説とは違う」と評されている本書。
でも上述の2作品に比べるとかなり目まぐるしかった気がします。
語り手であるグレイ医師やヒロインが命を狙われたり、何よりトリックが凝ってるというか、最後にソーンダイク博士が謎解きしてくれても「ええっと、あの時はこうでこの時はああで、あの時彼が見た人物はこっちで…」となかなかに混乱する。

読みながら「たぶんこういうことだろう」という予測はつくんですけどね。

今作も楽しめたけど、さすがに「若い医師(語り手)が偶然美女のからむ事件に遭遇し、その美女にいちいち一目惚れして事件に深入り、恩師であるソーンダイクに相談を……」という導入部には「またかよ!」とツッコまずには(笑)。

語り手とヒロインとの恋物語も楽しみの一つ、と『オシリスの眼』の感想には書いたけど、さすがに3作目となると食傷気味(^^;) もともと恋人同士だったのが片方が事件に巻き込まれて……とかせめて事件の発端はもうちょっと違うパターンだと良かったかな。

フリーマンさんの長編を最初から順番に読んでるわけではないので、実際には「何作目かに1回このパターン」なだけなんでしょうけどね。

若い医師が「代診」をしているのも一緒。
これは当時の医師のキャリアの始め方がそうだった、ということなのでしょう。休暇や健康上の理由でしばらく留守にする先輩医師の代わりに患者を診ることで、若い医師は実地の訓練を積んでいく。

まだ本格的に「開業」してるわけじゃないから事件に首を突っこむ時間的な余裕があるし、今作では「代診でしかない彼をわざわざ名指してくる患者」という“引っかかるエピソード”作りにも寄与しています。

物語は、語り手であるグレイ医師が森の沼地でとある水死体を発見するところから始まります。森には何かを探して草むらをかき分けている美女がいて、グレイは「もしや」と思うのですね。

そう、その水死体は彼女の父親でした。
前の晩帰ってこなかった父親が、心臓発作でも起こして倒れているのでは、と探していたわけです。
誤って落ちて溺死するような深い沼ではなく、自殺かとも思われたのですが、美女に一目惚れしたグレイはソーンダイク博士のもとを訪れ、

「しかしあやしい場合には、自殺論をうのみにしてはいかん、と常々、先生から教わっていました」 (P25)

と事件のあらましを語ります。
ソーンダイクの力添えもあって検死審問で「これは自殺でも事故でもなく殺人」ということが明らかになり……。

いよいよ博士の協力が必要だ!と思ったグレイくん、「でも先生にちゃんと調査費用を払えるだろうか」と心配します。

謝礼を払えないようなことをしてもらいたいと頼むのは、考えてはならぬことだ。専門家を喰い物にするというさもしさは、よくあることだが、私には厭でたまらぬことだつた。 (P49)

ここ!
素晴らしいですね!!!
みんながみんなグレイ医師みたいだったら世界はもっと住みよくなるでしょうに。
しかし1926年時点でも「専門家を食い物にするのはよくあること」だったのね…。フリーマンさんもタダで診察させられたり、「ちょっと文章書いてもらえまえん?謝礼は出せませんけど」とか言われていたのかしら。

とはいえグレイくんは結局ソーンダイク博士に謝礼を払ったりはしません。

「私の道楽に金を払おうというのかね? いやいや生徒さん、こんな面白い複雑な事件を知らせてくれたのだから、金を払わねばならないのは私の方だ」 (P70)

いい先生だなぁ。
近所にいて欲しい(笑)。

「われわれが得る新事実は複利だ。金が金を生むように、知識は知識を生むんだよ」 (P74)

なんてセリフも秀逸。

とりあえず、「若い医師が美女に一目惚れ」パターンじゃない長編があるのかどうか、もう少しソーンダイクものを読んでみなくては。


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