(※ 『矛盾源氏物語』公式サイトはこちら

(※以下ネタバレあります。これからご覧になる方はご注意ください。台詞等記憶違い色々あると思いますがご容赦を。「刀剣乱舞」の知識もほとんどないのでとんちんかんなこと言ってたらごめんなさい


2月4日初日の夜公演を配信で楽しみました!
良かった!!!


七海さんはじめメインキャストを宝塚OGが務める舞台。
そもまず卒業した男役さんが退団後もバリバリ男役として舞台に立ってくれるということが非常に嬉しい!楽しい! 女優さんとして活躍してくれるのももちろん嬉しいけど、男役スターさんの“男役”を再び見られるの、ファンとしてはたまらないですよねぇ。
 『義経秘伝』の時の悠未ひろさんも最高だったもんなぁ。

今回は瀬戸さんが最初から最後まで素晴らしくて圧巻のお芝居だったし、綾さんも麗しくてめちゃくちゃ良かったし、彩凪さんも格好良くて。

正直、皆さん宝塚の舞台以上に縦横無尽に、その魅力を爆発させていらした気がする。宝塚、負けてるじゃん、って。
宝塚の舞台はどうしてもトップさん主体で、大劇場公演では三番手以下の方は意外に出番が少なかったり、地味な役回りだったりすることも多いけど、刀剣男士の皆さん、全員に見せ場があって全員に派手なアクションがあって、全員がセンターって感じで。

目が離せない。

というわけでまずキャストの皆さんをおさらいしておくと。

歌仙兼定: 七海ひろきさん (2003年初舞台、宙組→星組、2019年退団)
大倶利伽羅: 彩凪翔さん (2006年初舞台、雪組、2021年退団)
一文字則宗: 綾凰華さん (2012年初舞台、星組→雪組、2022年退団)
山鳥毛: 麻央侑希さん (2008年初舞台、星組、2019年退団)
姫鶴一文字: 澄輝さやとさん (2005年初舞台、宙組、2019年退団)
南泉一文字: 汐月しゅうさん (2004年初舞台、星組、2014年退団)
光源氏: 瀬戸かずやさん (2004年初舞台、花組、2021年退団)

七海さんが一番上級生なんですねぇ。なんか、可愛らしいからそういうイメージがない(^^;)
瀬戸さんと汐月さんが1期下、麻央さんは5期下、そして綾さんは9期下! 退団したばかりでお若いとは思っていたけど、この面子ではだいぶ下級生なんですね。一番下の綾さんが「ご隠居」「爺ぃ」と呼ばれる一番の年上キャラをやってるの、面白い。

ちなみに私が宝塚で拝見したことがあるのは

七海さん→『オーム・シャンティ・オーム』、『Another World』、『Thunderbolt Fantasy』、『霧深きエルベのほとり
七海さんといえば何と言っても『サンファン』の殤不患です! 宝塚で殤不患できるの!?というこちらの不安を吹っ飛ばす、見事な殤不患でした。退団後も声優として女優として、八面六臂のご活躍。
今回は歌仙兼定、「文系名刀」(銘刀?)、「風流を教えてあげよう」というちょっと優男風のビジュアルがよく似合って、素敵でした。

彩凪さん→『るろうに剣心』、『ルパン三世』、『ひかりふる路』、『壬生義士伝』、『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』『NOW ZOOM ME』、『fff
一時期雪組しか観てない感じだったので、彩凪さんご出演の舞台はたくさん拝見しているのですが。
彩凪さんといえば『剣心』の観柳! 最高に原作を体現してらして素晴らしかった。『ルパン』では五エ門、『壬生義士伝』では土方歳三。シュッとして、ちょっと色悪寄りのキャラクターが似合う男役さんでしたが、今回の一人我が道をゆく好戦的な大倶利伽羅、非常によくハマって格好良かったです!!!

綾鳳華さん→綾さんも雪組に組替えされてからはほぼ観ていたと思うのですが、綾さんを「綾さん」と把握したのは『はばたけ黄金の翼よ』の時のショーの場面かな? 『ヴェネツィアの紋章』では二番手の役で、『CITY HUNTER』では香の兄、槇村。綾さんいいな~応援していこうと思った矢先、『夢介千両みやげ』で退団。ああ…残念、もっともっと綾さんの男役観たかった、と思っていただけに。

綾さんの一文字則宗、めっちゃ良かったです!
綾さんの声、すごくいいよね。そんであの、ちょっとオスカル様風のビジュアルが最高にいい。あのビジュアルで自分のこと「爺ぃ」とか言うの、キャラクターが刺さりすぎる。
こんな綾さんを大劇場の舞台で観たかったよ、、、

麻央さん→『アルカサル』、『オーム・シャンティ・オーム』、『Thunderbolt Fantasy
『アルカサル』では主役のドン・ペドロ。そしてサンファンでは殺無生!
サングラスでちょっとヤクザっぽいビジュアルの山鳥毛、シュッとしてた~。

澄輝さやとさんと汐月しゅうさんは残念ながら宝塚時代をほとんど知らなくて、今回の舞台でもあまりちゃんと観ていなくて……ごめんなさい。猫の呪いでニャーニャー言う南泉一文字の汐月さん、やんちゃ可愛かったです。

そして。

瀬戸かずやさん。宝塚では『はいからさんが通る』しか拝見したことがなく。見た目が昭和のスターさんぽいな、ぐらいの印象しか持っていませんでした。

すいませんでした!!!

ドラマ『合コンに行ったら女がいなかった話』での藤さん役が非常に素敵で、あのドラマでは藤さん&浅葱ペアが一番好きだったんですけど、今回光源氏が本当に素晴らしくて。
最初、烏帽子姿の光源氏に、「藤さんが平安貴族のコスプレしてる~」とちょっとムズムズしたんですが、舞台が進むにつれどんどん瀬戸さんの光源氏に引き込まれていき。

「私はどうしようもなく美しいんだ」などという上から目線の台詞がぴたりとハマる、それでいて「光源氏の設定」を失って若紫の乳母を務めるくだりなどは優しさと哀愁が溢れていて。
殺陣も見事で、ラストの戦いの場面での衣装は格好良すぎ!!!

最初から最後まで圧巻のお芝居で、この物語はまさしく光源氏の――“あの光源氏”の物語だと思わされました。刀剣男士たちもみんなそれぞれ素敵だったけど、これは彼の物語。


『矛盾源氏物語』――何が「矛盾」なのかというと。

刀剣男士たちが赴いた平安時代。何かおかしい。「弘徽殿の女御」が「私は弘徽殿の女御などではありません」と言って逃げ回っていて。

彼女は紫式部の友人、小少将の君。現実世界が「源氏物語の世界」に浸食され、「弘徽殿の女御」として存在させられている。時々、「行間」の世界で正気に戻ることができる。

舞台上に「行間」「本編」という看板(?)が出ていて、「ここは今、行間の世界」「物語の世界」というのがわかるようになっています。
いつもの時間遡行軍とは違う、斬っても斬っても手応えのない不可思議な敵から小少将の君を助けた刀剣男士たち。小少将の君から紫式部の言葉を伝え聞きます。
「物語を破綻させよ、そうすれば物語の夢から覚められる」

いつもは歴史が改変されないように守っている刀剣男士たち。しかし今回は「物語を改変する」ことが任務になる。「物語と現実が反転しているなら、俺たちの役目が反転してもおかしくない」

物語を破綻させる――「源氏物語」には書かれていない事態を引き起こす。それはつまり、物語に矛盾を引き起こすこと。だから、この作品のタイトルは「矛盾源氏物語」。ちなみに「禺伝」の「禺」という字は「わかち。区別」「あらわれる」という意味があるそう。「偶(=木の人形)」と同じ意味でも使われるようで、今回はそちらの方でしょうか?
「区別がつかなくなる」という意味なら、作品に非常にマッチしているようにも思うけど。

物語を破綻させる最も手っ取り早い方法は、主人公光源氏を殺してしまうこと。

というわけで、一匹狼&好戦的な大倶利伽羅が一人で光源氏を襲います。
が。
光源氏強い!
「私はこの帖ではまだ死なない、そういう設定なのだ」
“設定の力”は何にもまさる。“物語”そのものが、光源氏を守っている。

ここの瀬戸さんと彩凪さんの一対一の殺陣格好いいし、瀬戸源氏が「刀の木偶人形(でくにんぎょう)めが!」と言い放つのがめちゃめちゃいいんだよね。美しく強く、自信に満ちあふれ、刀剣男士たちを下に見るその圧倒的な強者感が。

「設定の力」で居丈高になる光の君、つまり、彼には「これが物語だという自覚がある」。小少将の君が他の登場人物たちにどう説明しても理解してもらえなかったのに――物語の中の人間が、「ここは物語の中、私たちは作者の操り人形」などと思うはずがないのに、この光源氏は、「ここは物語の中で、今は第○帖」ということを自覚している。

「そう、これは私の物語」

「誰もが人生という物語の主役」なんて言い方をするけれど、それはあくまで比喩。でもこのお話の光源氏は「これは物語」と自覚した上で、「物語を歴史に!」「すべてはあの方のために――!」と叫ぶ。

現実と物語が反転し、小少将の君が弘徽殿の女御、中宮彰子が六条御息所、そして紫式部本人は藤壺として存在する世界。なら、“光源氏”として存在している“彼”は何者なのか。

“彼”は、『源氏物語』を愛し、紫式部を敬愛するあまり、「このままでは紫式部様が地獄に落ちてしまう」と思った名も無き一ファンらしい。
「物語は嘘」「嘘をつくことは大罪」、まして『源氏物語』のような長大で複雑な、登場人物の入り乱れる大嘘を世間に広く流布させた紫式部の罪は。

紫式部を救うには、物語を歴史にしてしまえばいい。それが「本当にあったこと」になれば、彼女は嘘をついたことにはならず、従って地獄に落ちることもない。
千年の後、「本物の光源氏の骨」が発掘されれば、まるでトロイの遺跡のように、『源氏物語』は史実となるのだ――。

いやいや、それは。
だって“彼”が死んだからって、そして未来でそのお墓だか骨だかが見つかったとしたって、“それが光源氏のものだ”という証明なんてできないのでは。

ともあれ“彼”はそれを目指し、物語を“現実”として続けようとする。かたや刀剣男士たちは空蝉や末摘花に接触し、女たちの方から「物語とは違う展開」を作ろうと試みる。
が、いずれもうまくいかない上に、「光源氏の設定」が「歌仙兼定」の中に入ってしまって。

物語の力に守られた光源氏を殺すことはできない。「光源氏」を演じる男を無理に殺そうとすれば、その「設定」だけが宙に浮き、別の人間を「光源氏」として物語を続けようとする……ってことなのでしょう、たぶん。

しばらく「光源氏」として生きる歌仙兼定。他の刀剣男士たちに「おまえの物語を思い出せ!」と言われて自我を取り戻します。そしたら今度は大倶利伽羅に「光源氏の設定」が入っちゃって、「なんかすげぇ大倶利伽羅が残ってる光源氏だな」「好戦的すぎる!」という有り様に。
うぷぷ。

「光源氏の設定」が離れていっても、“彼”は余裕綽々。むしろ「この苦しみを引き受けてくれるのか」と喜んでさえいて。歌仙兼定から大倶利伽羅へと設定が移った時も、「今度はあなたがひきうけてくれるのか、ならば光源氏の設定はしばし預けておこう!」と。

「光源氏」でなくなった“彼”は何者なのか。
「今は乳母の設定が入っています」と言って若紫の面倒を見る“彼”。
でも「光源氏が死ぬ」という言葉を聞いた若紫は“彼”に尋ねる。「お兄様は死んでしまうの? だって、お兄様が光源氏でしょう?」

「設定」を超えて、若紫には“彼”が――“彼”こそが光源氏だということがわかっているようで。

“彼”は、本当に「名も無い一読者」だったんだろうか。
“彼”は、物語から脱け出した本物の光源氏だったんじゃないのか。
藤壺一人への愛に囚われ、大勢の女たちと睦み合いながらも孤独を強いられた光の君。「物語」の中でそのような人生を送らされた彼の、これは復讐ではないのか。

それだと「あの方(紫式部)のために!」という部分が矛盾してしまうけど、「これほどの苦悩と苦しみ、孤独」がただの嘘、物語の中の出来事にしか過ぎないなんて、あまりにも残酷なことではないだろうか?
「嘘」ではなく、「生きていた」と、現実だったと、そうであってほしいと。
「光源氏は本当にいた。あのつらい人生は現実に存在した」
千年の後、誰かがそう、認めてくれたなら。

途中で、実は小少将の君も中宮彰子も「非現実」ということが明かされる。「ここは物語の2階層目」と。
ちょっと、あの辺今一つよくわからなかったんだけど、「物語に浸食された現実」も「物語」だったというのはどういうことなんだっけ…。『源氏物語』ではなく『源氏供養』の世界? 「紫式部の悔恨が生んだ世界」とか言ってたかな??

ともあれ光源氏、「この世界で“現実の人間”はあの男だけか」って言われるんだよね。そこすら反転して、「真に物語世界の光源氏」ということがありそうなんだけどなぁ。

「紫式部のもとをファンの男性が訪れた」というのは小少将の君が語るだけで、実際にそんなファンがいたのかどうかも曖昧で、そもそもその「小少将の君」が現実の人間でないならなおさらだよね?

途中、紫式部が周囲から、「これほどの才能、男に生まれていたら」と言われていた話がはさまれていて、彼女自身も同じように思っていたようで、「光源氏」は彼女自身の投影なのでは?とも思う。
物語の中で登場人物を苦しめた悔恨、その「罪」を晴らそうともっとも奮闘すべきは紫式部その人であり、その化身である「物語の中の光源氏」なのでは……。

終盤のクライマックス、「雲隠」の段では、物語の女たちが、自分達への扱いに憤って光源氏を殺そうとする。「これは女たちの復讐」「そんな“雲隠”が――結末が――あっても良い」。
でも物語の女たちが復讐するなら、その真の相手は彼女たちをそのように描いた紫式部であってしかるべきでは? 作中で末摘花が嘆くとおり、「どうして彼女は私をこんな風に描いたのか、ひどい」。

女たちに敵意と刃を向けられた光源氏、「どうしようもなく私は美しいのだ」「恨みにも勝る愛をあなた達に与えたはずだ、それなのに私を殺すのかい?」
瀬戸さんの美しさとお芝居が圧巻なのよ。たまらん。
光源氏は若紫に「私を殺せ」と言って、結局若紫も、他の誰も、彼を殺すことはできないんだけど。

なんか、女達がギャーギャー言ってるところで若紫一人、「どうしてお兄様を殺すの!?」と光源氏をかばってほしかったなぁ。「設定」をなくした彼を「光源氏」だと思える彼女なら――まだ紫の上ではなく、若紫である少女なら。

「私たちはあなたを心から愛しました、それこそが“源氏物語”」

というわけで光源氏にとどめを刺すのは女達ではなく、歌仙兼定。
歌仙に向かって、光源氏は最期の言葉を贈る。
「あなたは、この物語を哀しんでくれるんだね。人ではない木偶が、心を付けるとは、なんと愚かな…」

この物語で、現実の人間は“彼”だけ。

物語を破綻させ、「現実を守る」ために遣わされた刀剣男士たちは、「刀に付された物語によって力を発揮するもの」。
で、この作品の歌仙兼定と大倶利伽羅は最初、「偽の物語」によって実体化されていたみたいで。私はもともとの「刀剣乱舞」に詳しくないので、それぞれの刀の特徴とか背景とか全然わからないんだけど、一文字則宗たち4人は、歌仙兼定と大倶利伽羅の実力を検分する役目も負っています。

「偽の物語」から生まれた刀剣男士がどれほどの力を発揮できるのか、そのお手並みを拝見する、みたいな。

繰り返し「元あるじ細川ガラシャ」の話をする歌仙兼定は、実は細川忠興の持ちもの。
「ずっと徳川家に仕えてきた」と思っている大倶利伽羅は実は伊達政宗にどうのこうの(すいません、ちゃんと理解できてません)。

史実とは別の、古美術商が値をつり上げるためにでっちあげた逸話、人々の憧れや願いによって付加された「偽の物語」。

正しい歴史を守る刀剣男士たちが、史実には存在しない「嘘」を力の拠り所にしているなら――?

もうほんとに「物語」が何重になってるのか、これを一つの作品にぶちこんできちんとまとめる末満さん、どんな脳味噌してるの、と思ってしまいます。

源氏物語との格闘の中で歌仙兼定は「実際には細川忠興のものだった」という出自を思い出すし、大倶利伽羅も伊達のことを思い出すけど、一方で、「一文字則宗と沖田総司」の逸話は「史実」ではなく「作られた逸話」という話もあって。

「僕が沖田総司に使われたのは、物語の中だけの話さ」

「私たちを否定しますか?」と六条御息所に問われて、「お前たちを否定するなら、私も沖田総司を否定しなければならぬ」と答える則宗。
御息所「では、抗わせてもらいます」
則宗「かまわん!だがこちらも思う存分、抗うぞ!」

いちいち綾さんが格好良くて最高なんですけど、綾さん、宝塚時代に沖田総司やってらっしゃるんですよねぇ。私は拝見できてない『誠の群像』で。
細川ガラシャを元あるじと慕う歌仙兼定、七海さんは『綺伝いくさ世の徒花』でガラシャを演じている。キャスティング考えた人、やりすぎでは(いいぞ、もっとやれ)。

歴史と物語が反転した世界。
でも、「歴史」って何だろう。
私が子供の頃に「歴史」として習った聖徳太子や大化改新は、今ではずいぶんその詳細が変わってしまっている。「史実」だと信じられてきたことが覆されて、トロイのように「伝説」だと思われてきたことが「史実」と確かめられることもある。

人は信じたいものを信じ、見たいものを見て、実際に起きたことに解釈を加えて「歴史」となす。

「物語が嘘ならば、物語を礎とする俺たちも嘘だろう。俺たち刀剣男子とはいったい何だ」

『源氏物語』の世界に迷い込んだ刀剣男士、それを“物語”として見ている観客。幾層にも重ねられる“物語”の階層。

ラストで刀剣男士たちは、「俺たちがいる“ここ”は果たして現実なのか?」と自問する。「俺たちの戦いが、もし物語ならどうする?」「その物語に、心を寄せてくれる人がいる。その思いに報いようと思う」

物語を書く人間なら誰でも、「自分も誰かの書いた物語の登場人物に過ぎない」と思ったことが一度はあるでしょう。どこから来て、どこへ行くのか、たまさかの「生」は、物語に描かれた登場人物のそれとどう違うのか。生まれる場所、環境を、自分で選ぶことはできない。それは「設定」とどう違うだろう? 誰に読まれることもない、思いを寄せられることすらない人生は、「物語」の人物以下では?

「この美しい地獄を、分かち合おうじゃないか」

物語と現実の反転、どちらが「真実」かわからなくなる――これって『漆黒天』のお話(同じ末満さんの作品)とも通じますよね。「名無し」は本当はどちらの男なのか。「本当は」と問うことに意味はあるのか。人は誰も、「自分の認識」の中でしか世界を把握できず、自分自身をも「私はこういう人間」と設定して生きている。

その設定が周囲の設定とズレていたとして、正しいのは――「現実」は、どちらか?

はぁ、ほんとにテーマが好きすぎる。


えーっと、あと、六条御息所役の梅田彩佳さんもすごく良かったです。滑舌もしっかりしてて、「行間の藻屑となるがいい!」っていう動のお芝居も、「私たちを否定しますか?」という静のお芝居も、巧くて魅力的だった。

「雲隠」のところの瀬戸さんの衣装はほんとに格好良かったし、「お待ちしておりました、刀の木偶人形たちよ!」って台詞も最高。「なにせ戦になど出たことがないもので」と言いつつ刀剣男士並みに戦える美しき武者光源氏、お見事すぎる。 

「爺ぃの背中は預けたぞ!」「ご隠居とは名ばかりのくせに」「さぁ、どうだろうなぁ!」という則宗もキャラクターが好きすぎる。
「せっかく来たんだ、暴れさせてもらうぞ!」って、全然ご隠居とか爺ぃの言い草じゃないですよね。さらに「ようやく慣らしが終わったぞ」って。
綾さんの声が本当に本当に本当に素敵で、もちろんビジュアルもお芝居も殺陣も良くて、一文字則宗、大好きです、こんな綾さんを見せてくれてありがとうスタッフ

和傘を使ったフィナーレも素敵でした。シャンシャンの代わりに傘、日本物のフィナーレみたい。ジェンヌさんたちお手の物ですよねぇ、ああ、麗しい。

2時間半を超える舞台、配信はがんばって2回観ましたが、何周でもできる気がする。スケジュールとお財布事情が許せば大千秋楽の配信も観たかったし、生でも観てみたかった。再演あるといいなぁ(チケット取れるとは言ってない)。


「物語に終わりがあるように、ものにも終わりはある。どうせいつかは我らも朽ち果てるのだ。ならば気楽に考えた方が、生きることは楽しいぞ!」 by一文字則宗



(※橋本治さんの『源氏供養』を読み返したくなりました。『窯変源氏』を読み返すのは大変なので、『源氏供養』の方を(^^;) 別サイトに書いた紹介記事はこちら